速報、大谷選手、176号、

松井さん こえる。

 

 

 

 

ちびまる子ちゃんの声、前と 似ているので、
変わったのが、あまりわからず。
よく聞いたら、ちょっと違うかなあ、というぐらい。


今永投手、3連勝。
自責0ストップも3勝目!6回5安打3失点 
メジャー初被弾も直後に味方打線が逆転。


道の駅の日、
31年前に103か所が登録。
今は、1200か所以上。

東京に、ネパール料理の
「マナカマナ」というお店があるそうです。
マナ・カナさんが 好きなお店? でしょうか?



さて、
岩国市・北河内・下(しも)の、
愛宕神社、須賀神社、
愛宕山三角点136m、014-891
愛宕山城跡

です。
周防・愛宕山城 があったそうです。
城主は正平年間(1346年~1370年)に
江良弾正定乗。





愛宕神社には、
石鳥居、元治元年(1864年)十月
石灯篭、昭和六年、
    昭和十年十月、


手水鉢2つ,自然石 平たい手水鉢、
     ムンクの「叫び」型?手水鉢



R2から R187に 入ります。

R187,
岩国市下(しも)

岩国市下(しも)の愛宕山は、山頂に愛宕神社があります。
神楽が奉納され、
「下(しも)の神楽」  として
岩国市指定無形民族文化財に指定されています。

「神楽の里」看板から、狭い道をあがります。

 

「神楽の里  愛宕社」看板

 

 

 

林道「吉城寺」線起点 を登って行きます。 幅員3.0m。




分岐には 
林道白井谷線 起点  の標識があります。ここを 左に登って行きます。

 


錦川清流窯があり、

貯水タンクがあります。

白とオレンジの ダブルガードレール?

これは 山口県でしか 見られない。

 

木が 倒れていたので のけます。

 



しばらく行くと
「愛宕社」の標識があり、右手に階段があります。

コンクリートの階段は、林道ができたとき、作ったのでしょう。

 

その上には 昔からの 石段が。

 


 

石鳥居、元治元年(1864年)十月。

 

 

 


石灯篭、昭和六年、 秋山さん

 

 


石灯篭、昭和十年十月、

「下村 岡迫」さん。

 

 

 


手水鉢2つ,自然石平たい手水鉢、
     ムンクの「叫び」型?手水鉢

 

 

 

 



 

愛宕山には、愛宕神社・須賀神社があります。   ここにも、秋山さん、岡さん。

参拝します。
主祭神    
《主》火産霊神、加具土神          <愛宕神社>
《配》須佐之男命[すさのおのみこと]と
   櫛稲田比売命[くしなだひめ]、
   その御子神である八島野命やしまのみこと<須賀神社>

 

 

愛宕神社の鬼瓦が、殿様の丁髷(ちょんまげ)のように
なっています。

 



 

 

 

 

 

下(しも)の神楽の説明板



左に、摂社。







神社近くに
四等三角点(点名:愛宕山)

014-891

 

国地院


岩国市下(しも)字・吉祥寺46番地
四等三角点(点名:愛宕山)
基準点コード    TR45132109701
ICタグ(ucode)    
等級種別    四等三角点
冠字選点番号      K国34
        014-891
選点     昭和40年11月11日
    保護石4個、モルタル補修(補装)
電子基準点観測点番号    
基準点名          愛宕山

20万分の1地勢図名    広島
5万分の1地形図名    岩国
成果区分    世界測地系(測地成果2011)
北緯    34°09′54″.3834
東経    132°05′28″.8176
標高(m)    135.54
神社から10.7m
鳥居から5.8m


周防 愛宕山城 が あったそうです。
城主は正平年間(1346年~1370年)に
    江良弾正定乗。

周防 愛宕山城
形態  山城(136m/130m)
別 名 壇の城
文化財指定 なし/不明
遺 構   なし
城 主   江良定乗、江良弾正定乗
歴 史
    詳細不明。城主は正平年間(1346年~1370年)に
    「江良弾正定乗」と伝えられる。
説 明
    愛宕山城は、錦川が大きく蛇行する地点の北側、
    標高135.5mの山に 築かれていたという。

    現在は愛宕神社の境内となり、林道も付けられており、
    遺構は見当たらない。
東麓から舗装林道があり、愛宕神社北下に広い駐車スペースがある。
 最寄り駅(直線距離) 行波駅 1.2km 南河内駅 2.7km。
岩国市史
山口県中世城館遺跡総合調査報告書-周防国編-より。



大きな石 が あります。



山頂から 鳥居と反対側に 車道があり、
反対側におりると、
なんと 広ーい駐車場があります。



 

「愛宕社」の標識 を おりると もともとの参道へ。

北河内中学校跡 へ 出ます。

 

北河内中学校跡の
校庭には水準点があります。

岩国市下(しも)47番地2
基準点コード    L020000000952
ICタグ(ucode)    
等級種別    二等水準点
路線番号    312
電子基準点観測点番号    
基準点名    952号
成果品質    1970年以降観測されている
20万分の1地勢図名    広島
5万分の1地形図名    岩国
成果区分    測地成果2011
北緯    34°09′53″.2737
東経    132°05′37″.2976
標高(m)    42.727
旧設置 昭和61年8月
標示板 平成18年7月







まんが日本昔ばなし
No.0550
「てんぐ・天狗のたたり」(山口県)
放送回:0344-A  
放送日:1982年06月05日(昭和57年06月05日)
大切なお面を壊された天狗が、小石を投げて怒りをアピール

昔、岩国市にある 愛宕神社の前の広場は、
近所の子供たちの遊び場になっていました。
中でも、山盛屋(やまもりや)の一人息子の善八(ぜんぱち)は、
特に無邪気で元気な子供でした。

ある冬の夜、 山盛屋 に砂利のような小石が
投げつけられるようになりました。
山盛屋 の両親は、近所の子供のいたずらだろうと思って
最初は気にもしませんでしたが、
石投げは毎晩毎晩続きました。人に恨まれるような商売はしていないし、
犯人に心当たりもないので、両親も近所の人も不思議がるばかりでした。
やがてこの小石は一日に何度も飛んでくるようになり、
石が飛んでくる時は
善八が高い熱を出してうなされるようになりました。
両親はおろおろするばかりでしたが、ふと見ると、天井の梁に
立派な天狗のお面が引っかかっている事に気が付きました。

このお面は、善八が 愛宕神社のお堂の中から持ち出したもので、
しかも鼻の先っちょがちょっと折れていました。
毎晩の石投げは、お気に入りのお面を壊されて怒った天狗がした事でした。
両親は折れた鼻を修理して、

三人で 愛宕神社へお面を奉納して深々と頭を下げました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


それからは もう 小石が飛んでくる事は無くなりました。


上、 まんが日本昔ばなし の 愛宕神社の鳥居、

下、 岩国市下(しも)  の 愛宕神社の鳥居。


ナレーション    常田富士男
出典        不明
場所について    山口県岩国市。


上、 まんが日本昔ばなし の 愛宕神社の鳥居、

下、 岩国市下(しも)  の 愛宕神社の鳥居。

「まんが日本昔ばなし」の絵を描いた人が、 岩国市まで見にきたのだろうか?

よく似ている。

       



上、 まんが日本昔ばなし の 天狗のお面、

下、 岩国市下(しも)神楽の 天狗のお面。

「まんが日本昔ばなし」の絵を描いた人が、 岩国市まで見にきたのだろうか?

目の形、白さ  黒目の大きさ  花の形    よく似ている。

 

 

 

神社の屋根、扉 も にている。











地名についても、調べました。

日本歴史地名大系 「壇」
山口県: 岩国市下村壇
[現在地名]岩国市大字下 字、壇
大光だいこう寺の上の山一帯の称。
弘治元年(一五五五)毛利隆元が 大内義長と戦った時、
陣を敷いた所 という伝えがある(玖珂郡志)。

南に延びた柏木かしわぎ山の尾根の端にあり、錦にしき川を三方に望む地である。
現在、この地には愛宕あたご神社を祀るが、
その縁起について
「玖珂郡志」は
「愛宕勧請コトハ
正平廿一年、<正平21年(1366年)は南朝年号で、北朝の貞治2年>
大内義弘、此この壇村ヘ押寄セ焼払シ時、
当地城主
「江良弾正定乗」
ト云、防ギケルガ、此城、焼失ハ狐ノ所為ナルヲ知リテ、
其悪狐ヲ殺セリ、此所ヲ狐石ト云、
此石ニ 狐ノ霊 留リ折フシ火災ヲ起スコトアリ、
其後
弘治元年(1555年)、毛利隆元公、
大内義長、退治<戦った>ノ時、ココニ宿陣アリシ<陣を敷いた>ニ、火災ノコトアリ、
是ニ 狐霊修験者 ト化シテ、我霊ヲ祭ルベシト告ケル故、
天正九年(1581年)ニ 其霊ヲ収テ、
「石ヲ立祭リ」、
(この石か?)
「定乗さだのり」ノ五輪モ 一同ニ立ケレドモ 誰祭ル者モナシ、
時ニ
明和五年(1768年)
明和七年(1770年)、二百年ニ当リ火災ノ告アリ、依之、
「愛宕神」ヲ 勧請シケルニ、
安永十年(1781年)彼所ヲ汚セシ者アリケレバ、其所ヨリ火ノ玉出テ、
大ニ火災起リ止コトヲ得ズ、依之、厳島ヘ占ニカヽリケレバ、是ハ井戸ヲ掘タル時、
其石垣ニセシ故、其祟ト云コトアリ、
夫故、愛宕社ヲ改テ尊信シ奉リテ火災鎮リヌ」
と記している。



日本歴史地名大系
下村 しもむら
山口県:岩国市下村
[現在地名]岩国市大字下
柏木かしわぎ山の尾根が南に大きく張り出し、錦にしき川の流れを南に曲げる尾根南端部分に
集落があり、東は錦川を隔てて 保木ほうき・角すみの両村、
西も錦川を隔てて  行波ゆかば村である。
寛永二〇年(一六四三)に 河内こうち郷を分割してできた村で、
慶安四年(一六五一)の「御領分村一紙」に村名がみえる。
村内の小名には
 細里=細利ほそり・


 井応木いおうぎ・
「定乗さだのり」
「江良えら」、壇だん、

吉祥寺、などがある。
井応木いおうぎには 弥生時代の遺跡があり、山腹など三ヵ所に、
同時代末から古墳時代初期にかけて 住居があったことが推定される。
水田は二町歩ばかり、 畑と山ばかりの村で、
慶安四年の村高は高一五三石余だったが、これは楮高が過大だったようで、
寛文一二年(一六七二)の検地では一二六石余に低下した。

 

 

ということで、

北河内の 愛宕山に、

愛宕神社があり、

愛宕山4等三角点014-891 があり、

周防 愛宕山城 跡 があり、

 城主は正平年間(1346年~1370年)に 江良弾正定乗 さんで、

 

 

村内の小名には
 細里=細利ほそり・
 井応木いおうぎ・
「定乗さだのり」
「江良えら」

壇だん、

吉祥寺、などがある  ということです。

 

 

自分は、

神社巡り が 好きで、

三角点・水準点 探し が 好きで、

お城・城跡 巡り が 好きで、

神楽 も 好きで、

旧学校 も 好きで、

 

なんと ここは 1か所・1地域 で

5倍・5度も 楽しめる場所 でした。

 

 

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一番きれいにしたい場所は?

 

自分の部屋、

それと、トイレかな。

 

清掃デー。

 

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