父が3月に肺炎で入院して
亡くなるまでの間も色々ありました。
●認知症の疑い
入院した病院の医師から
認知症かもしれないと話がありました。
・点滴を自己抜針する
・夜徘徊する
・意識がはっきりしない
・肺炎で入院している事が理解できない
せん妄かも、でも認知症かも。
認知症であれば
今の入居施設に戻れません。
自分で身の回りの事が出来るが条件なので。
認知症患者を受け入れて
看取りまでしてくれる施設を
探さなければなりません。
叔父とケアマネさんが
何とかみつけてくれましたが
見つかるまでは落ち着きませんでした。
●延命措置をするかの決断
そしてその後
肺炎はよくなりましたが、
食事がとれなくなっていきます。
「延命措置(胃ろう)をしますか?」
と医師から聞かれました。
私が決断しなければなりません。
延命措置をしないのは親不孝?
管を繋がれて生き長らえるのは
辛くはないのか?
非常に悩みましたが、
このまま終わりに向かわせてあげようと
延命措置はしないことにしました。
●枯れていく
叔父が
延命措置をしない父に
「枯れていく」
という表現を使っていましたが、
それがどんな事なのか
よく理解していませんでした。
2週間の間に劇的に変わった父の姿。
動けなくなり
枯れ枝のように痩せ細っていました。
目は開けていますが
意識も混濁しています。
食事をとっていないので
痩せていくのは当たり前の事なのですが、
病室に入いった瞬間、
声もでない程に驚きました。
総入れ歯をとっていたので、
頬がゲッソリへこんでいました。
私の決断でよかったのか?
病院の駐車場にとめた車の中で
号泣しました。
命の終わり方は人それぞれですが、
枯れていく最後をみるのも
辛いことでした。
●さいごに
延命措置はしないという事前指示書は必要
父の時、決断するまで非常に悩みました。
夫や息子を悩ませたくないので
私は延命措置はしないという
自分の意思を書面に残しました。
随時、見直しをしていこうと思います。
歯は大事
枯れていくにしても
少しでも顔はゲッソリさせたくない
と思いました。
見ている家族の辛さが
少しでも軽くなるように。
終末期、知る、考える
父の最後はあっという間でした。
2月に高齢者施設に入居した時は
100歳をこえて生きると思っていました。
終末期は人それぞれですが、
あまりに私は知りませんでした。
人の終末期を知り
家族で考える機会も
必要だと思いました。