生の声を聞ける機会が著しく少なくなって来ている訳です。
でも僕らが風化させてはいけない歴史があります。
今年は広島、長崎、双方の原爆資料館に行きました。
どちらも非常に丁寧に作られた資料館なので、
見終わる頃には正直体力、精神力、かなり消耗します。
やっぱりとても重い歴史。
でもそう言う場所に来て感じる事は、
特に展示された遺品から受け取れる事は、
何十万人が犠牲になったのではなく、
尊い命を強制的に奪われた「一人」が、
何十万人分も、
瞬く間に生み出されてしまったと言う事。
写真は被爆し亡くなった学生さんの遺品です。
食べる事のないまま黒焦げになった弁当。
弁当を持って家を出た時点では存在していた人生。
何を以って人道的と言うのかは分からないけど、
少なくともこれが人の迎えるべき死の形とは思えません。
でもそんな死が繰り返され、
今尚核兵器はなくならない訳です。
資料館が伝えるもうひとつの大切な事。
それはこの悲惨な日々を乗り越えて、
今日まで命が繋げられて来たと言う事です。
絶望に負けなかった歴史。
その上で生かされている僕達と言う存在。
日本人の強さは「守る強さ」であって欲しいと、
切に願います。