みなさんこんばんは菊澤多門です。


昨日は大東亜戦争が始まった日でした。


「大東亜戦争?聞いたことがないぞ」

「大東亜戦争なんて呼び方はダメだ」

「大東亜戦争?太平洋戦争?どっちでもいい」

「東條英機が悪かった」

「昔の日本は悪かった」


今日はこんな御意見の方々にお話します。


当時、
欧米人は白人が一番だという考え方のもと
(今もそのようですが)

ほぼ無抵抗で、戦う力を持っていない

弱い有色人種の世界中の国々を

力づくで自分たちのモノにしました。

その被害はアジアの国々も同様で

弱い国々の労働力や人命や資源は

白人の当然の権利として

好き放題に使われたのです。

だけど日本は白人国家に堂々と向き合い

人種差別をやめようと呼び掛けました。

国際連盟を作る時には規約に

人種差別をしないという言葉を入れようと

日本が提案しましたが

イギリス、オーストラリアが猛烈に反対して

実現しませんでした。

日本は、

自存自衛
アジアの安定
人種差別反対

この3つを
外交における原則としていたのです。

白人国家(主にアメリカ)は

ジャマな日本を戦争に引きずり込んで

たたきつぶす為に

あの手この手で嫌がらせをしますが

日本は勝ち目の無いアメリカとの

戦争を避けたいので

歩み寄ろうとします。


この頃アメリカには

日本との戦争を支持する国民が

3%しかいなかったそうで、

これがアメリカの

大きな悩みだったと言われています。

アメリカ国民一人一人に

日本と戦争したいと

思うよう仕向けるには

最初の一撃を日本に撃たせること。


アメリカは日本と交渉するフリをしながら

戦車や戦闘機などの兵器を

大量生産して

着々と戦争の準備をしているのに、


日本の東條英機首相は

さらなる譲歩案を

出してきて戦争を避けようとしました。


その譲歩案を無視して

アメリカはハルノートと呼ばれる

「日本の息の根をとめるような要求」

を突きつけ、

追い詰められた日本は

昭和16年12月8日、

ついに真珠湾攻撃に

踏み切ることになってしまいました。


真珠湾攻撃によってアメリカの狙い通り、

日本との戦争を支持するアメリカ国民は

3%から90%へはね上がったそうです。


真珠湾攻撃から始まったこの戦争で

日本が掲げた理想は、


白人国家にいじめられている

弱い国々が自立して

助け合えるようにしていこう

というものでした。


これが大東亜戦争と呼ばれるものにおける

私の理解です。

案の定、日本は敗戦して、戦後は

アメリカにコントロールされました。

そして日本は

徹底的に悪かったことにされてしまい

大東亜戦争という

名称を使うことまでもが禁じられて

太平洋戦争という名称を押し付けられました。

大東亜戦争で掲げた理想には

正義があったからです。



永野修身 軍司令部総長は仰いました。


戦っても戦わなくても国が亡ぶだろう

だけど戦わず国が亡ぶことは

国だけじゃなく魂までもがなくなって

永久に亡んでしまう。

たとえ一旦は国が亡ぶとしても

最後の一兵まで戦いぬいたら

私たちの子孫はその姿を見て

必ず何度も立ち上がることだろう。

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永野修身(ながのおさみ)

【原文】

戦うも亡国かも知れぬ。

だが戦わずしての亡国は、

魂までも喪失する永久の亡国である。

たとえ一旦の亡国になるとも、

最後の一兵まで戦い抜けば、

われらの子孫はこの精神を受け継いで、

再起三起するであろう。

戦争が決定された場合、

われら軍人はただ大命の下で戦におもむき、

最後まで戦うのみである。


永野修身 海軍軍司令部総長


大東亜戦争という名称を
使わない方々に問いたい。

それでも太平洋戦争と呼ぶのか?