本音を封印していた私が ノートに救われた理由

 

 

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〜ノートに本音を書き出すのは、本当の自分を取り戻す入り口〜

 

❍ 我慢のくせが染みついた私

 

「人に迷惑をかけてはいけない」

「自分より相手を優先するのが愛」

 

そんな風に信じて、私は長い間“いい人”を演じてきました。

キリスト教の教えの中で、

自己犠牲こそが美徳だと教わってきたからです。

 

でも、いつからか心の中で小さな違和感が膨らんでいきました。

周りに気を遣い、家族に合わせ、笑顔を作る日々。

気がつけば、自分の気持ちがどこかに消えてしまっていたのです。

 

❍ ある夜、心が音を立てた

 

その日も、家族のために夕飯を作り、片付けを終えたあと。

リビングの明かりを落として、ふと静けさが戻った瞬間――

急に、何も感じない自分に気づきました。

 

嬉しくもなく、悲しくもなく、ただ“空っぽ”。

「このまま年を取っていくのかな」と思った瞬間、

胸の奥からこみあげてくるものがありました。

 

気づいたら、机の端に置かれた一冊のノートを手に取っていました。

買ったまま放置していた、花柄の表紙のノート。

そのとき、どうしてか分からないけれど、

“この中に、私がいる気がした”のです。

 

 

❍ なぜノートに本音を書こうとしたのか

 

心のどこかで、

「誰かにわかってもらいたい」

「でも、誰にも言えない」

そんなジレンマを抱えていたのだと思います。

 

本音を話すと、誰かを傷つけてしまうかもしれない。

怒られるかもしれない。

嫌われるかもしれない。

 

けれど、ノートなら誰も傷つかない。

誰にも気を遣わずに、思い切り本音を出してもいい。

そう感じた瞬間、ペンを握っていました。

 

書きたいことを考える暇もなく、

手が勝手に動いて――最初に書いた言葉は、

 

「もう疲れた」

 

たったそれだけ。

でも、その一行を書いた瞬間、涙が止まらなくなりました。

 

 

❍ ノートは心の扉を開けてくれた

 

それから毎日、ノートを開くようになりました。

書いていくうちに、

怒りの下には悲しみがあり、

悲しみの奥には“愛されたかった気持ち”があることに気づきました。

 

本音を書くことは、

自分を責めることではなく、

「本当はこう生きたかった」自分と再会することでした。

 

ノートは、私が長い間閉じ込めてきた“心の声”を

そっと迎え入れてくれる場所になったのです。

 

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❍ 気づいたこと

 

ノートに書くという行為は、

決して“ネガティブを吐き出すため”ではありませんでした。

 

書いていくうちに気づいたのは、

本音の奥には、いつも“愛”があったということ。

 

誰かを責めたいわけでも、

自分を否定したいわけでもなく――

ただ、「大切にされたかった」「わかってほしかった」。

それが、本音の本質でした。

 

ノートは、そんな自分の“愛のかけら”をひとつずつ拾い集める場所。

書くたびに、私は“優しい私”に戻っていったのです。

 

 

❍ 最後に

 

ノートに本音を書くことは、

勇気のいることかもしれません。

 

でも、書くことでしか出会えない“本当の自分”がいます。

その自分と再会したとき、

あなたの心はきっと軽く、温かくなるはずです。

 

だから私は、今もノートを開き続けています。

ノートに本音を書き出すのは、本当の自分を取り戻す入り口です。

 

 

 

ご機嫌ファクトリー主宰/ご機嫌デザイナー

KAZUE