こんばんは、cocoroとカラダのメンテナンス かずぼんです。
秋の夜長にモンブラン♪
昨日、オットと夜に言い合いになり・・・そうになりました。
私がまた、私の意図のとおりにオットを動かそうとしたのが原因です。
動かそうとするというよりも「わからせよう」としたことで、オットが猛反発。
そりゃ、イヤよね
でも、家族にはわかって欲しいというこの感情・・・
結構傷つく言葉も言われた。
でも、「そっか、ごめん。そうやんな」とオットの言い分を認めて、私はその場を立ち去って、自分の寝室へ。
自分のしてしまったことに対して、またやってしまったねと自分と話ながら、一連の感情の動きを観察していたつもりだった。
でも、今日読んだ本には「怒りの瞑想」があると知り、それはただ単に怒りを抑圧しているだけだとわかりました。
怒っていい。
いいのだけれど、それを誰かに矛先をむけてはいけないだけで、怒っていいのだ。
怒りには健全な怒りと不健康な怒りがあるそうです。
健全な怒りとは、感情を十分に感じて、責任の伴ったやり方で、自分を通して表現するという感情の権利を、感情に対して認めること。
そのやり方も紹介している。
今度、怒りが出たときはやってみよう。
でも、きっともっと小さい頃からの怒りはあるはず。
やってみよう。
私のすべての怒りの元となっている「怒り」を、引き出してみよう。
不健全な怒りは私の内面に抑圧された怒りと、私自身に矛先が向けられた怒りだそうです。
怒ってもいいけど、誰も傷つけてはいけない。
自分でさえも。
病気として体外に出てきたときには、必ず痛みとともに怒りがその体内に抑圧されているのだそうです。
怒りはその都度、開放していく。
深いな~、私たちの魂への宿題は。
今日はこのへんで。
意味不明でスイマセン