背中の痛みからのメッセージ | ソウルナビゲーターかずこ「人生、ラクチンに生きていい!」

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「つながる呼吸瞑想」というオリジナルな瞑想を中心に、セッションや講座、リトリート、ライフワークとしてのタングルアートや踊りからもココロとカラダの調和をとり、魂の赴く方向へと導くお手伝い。
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おはようございます、cocoroとカラダのメンテナンス かずぼんです。



今日は大阪で打ち合わせです♪

その準備の間にブログの更新~ぱそこん。



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数日前の朝の空。


数分経ったら・・・




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2本になったよ!!





やっぱりブログ、続けることってダイジですね。

「ダイジ」ってカタカナで書くと、全然大事そうじゃないと思うのは私だけ?(笑)



続けることは信用を得ること。

信用を得ることは、その方と緩やかな関係性ができること。

緩やかな関係性ができると、なんでもスムーズにことが運ぶから、お互いにストレスがなくて、とっても良好な関係が保てます。



うん、やっぱり続けることって、人のためでもあるのだ。



で。

今日のお題ですが。


先日、軽い軽いやけどをしたので、そのときのカラダからのメッセージということで記事にしました

その記事からコメントをいただいたので、その続きです。



やけどした部位についてです。




背中の傷み
感情的なレベル


背中のいちばん下の方、つまり仙椎のあたりが痛む人は自由を至上のものと考えており、誰かが自分の援助を必要とすると自分が失われるのではないかと恐れています。


背中のまん中のあたりが痛む人は物質面での安全性の脅威を感じ、不安になっています。
まん中あたりは『持つこと』に関わっています。
財産を持つ、お金を持つ、配偶者を持つこと、子供を持つこと、良い仕事を持つこと、学位を持つこと。
その人が支えられていると感じるために、ナニかを持つ必要があるのに、それをみずから禁じている、あるいは人に助けてもらうことをみずからに禁じているということを表しています。

そういう人はなんでもひとりで背負い込みます。
人に任せることができないのです。



背中の上の方が痛む人は、愛情面で安全が脅かされていると感じています。
というのも、何かを『する』ことによって自分の安全が確保されると思っています。

また自分がすべてをやってしまうと誰も自分を助けてくれなくなる、と思い込んでいるのかもしれません。
自分がやっていることを常に誰かに監視されていると思っています。
その人を自分が背負っていると感じるのでしょう。

以上、「自分を愛して!」リズ・ブルボー著より引用


背中ってこうして3ブロックに分かれて感情のレベルがあるのですね。

背中全体は過去をあらわしているとも。


背中に問題があるときは「予備がない」「サポートがない」と感じるため、「バックしている」というサインでもあるそうです。


英語でback。

気が進まなかったり、疑いや恐れがあるために後戻りしようとしているのです。



怒りで後戻りさせられている、誰かに対する復習として仕返しをしている、あるいはものすごい犠牲を通して、背中に全部背負っているかのように感じているかもしれません。


「背を向けている」ともいえますし、「背中を押しもらう」ことが必要なのかも・・・



こうして、なんらかの病気や怪我などで影響を受けているカラダの部位や症状を表す比喩はとっても興味深いのです。




次回は精神的なレベルからみてみましょう~!


ではでは~~~!


今日もアリガト♪




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