皆様へ

こんにちは。
本日は自戒を込めて投稿致します。
突然ですが、皆様は今ご自身に与えられている仕事、家庭等の環境、築き上げた地位、名声、財産、これら全てが自分自身の努力で培われた物だと思われていらっしゃいますでしょうか。確かに多少その要素はあるかもしれません。しかし聖書の教えに従えば、それらは皆根本的には主なる神、主イエスによってもたらされたものなのです。

あなたは、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない。 むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。
‭‭申命記‬ ‭8:17-18‬ ‭新共同訳‬‬

またその視点に立ってみれば、今ご自身にある課題や困難もその者を鍛え、強める為に主なる神によってもたらされたものかも知れません。

ヨブは答えた。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。
‭‭ヨブ記‬ ‭2:10‬ ‭新共同訳‬‬

ヨブは大変信仰厚い者でしたが、その信仰を試す為に敢えて主なる神はサタンに彼への攻撃を許します。結果ヨブは重い皮膚病にかかります。サタンは彼の妻に介入し、ヨブに主なる神を呪うべく促しますが、ヨブは屈しませんでした。ここでは彼の信仰の強さはサタンに打ち勝ったのです。これは鍛錬の結果、信仰が強められた例でしょう。
鍛錬と言えば、以前過去記事「聖書における訓練、鍛錬」において以下の聖句をご紹介致した所です。

また、子供達に対するように告げられている次の勧告をあなた方は忘れています。「我が子よ、あなた方は主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から叱責されても/くじけてはいけない。

ヘブライ人への手紙12:5(一部私訳)


なぜなら、主は愛する者を鍛え、/子として受け入れる者を皆、/鞭打たれるからである。」ヘブライ人への手紙‬ ‭12:6‬ ‭‬‬(新共同訳)


もしあなた方が鍛錬を忍耐するなら、神はあなた方を子として取り扱われます。父が鍛えない子はどんな子でしょうか。

ヘブライ人への手紙‬ ‭12:7(私訳)


私は信仰に目覚めてから暫く経ちます。しかし目覚めた当初と今の状況を比較してみますと、取り巻く環境や普段時間を費やす事柄が全く変わってしまいました。そしてこの変化を経ている間も決して事が順調に進んだ訳ではなく、直面した当初はかなりの動揺がありました。しかし振り返って、自分の経験、興味、適性等を冷静に総合的に鑑みてみれば、今与えられている境遇は私にぴったりのものです。従って今では間違いなくこれは主の祝福だと強く信じられており、大変感謝の気持ちで溢れ、全く後悔がありません。

これから道を歩む上で私には益々注意を払わねばならない点があります。先にも記述致しましたが、現時点で私が今まで生きてきた中で学び体験した事、そして今ある環境、これから自分が為すべき事柄、同じ信仰に励む兄弟姉妹達との交わり、これら全てが主のお導きの結果の祝福だと思っています。
しかしもし仮にこれらについて私が己一人の努力で勝ち取った、自分の手柄などと思い違いをしてしまえば、途端に高慢の罪に陥ってしまうのです。お恥ずかしい話ですが、つい最近私はその類の思いに囚われている事に気付かされたばかりです。高慢に陥った者は主にではなく自分に栄光を帰そうとしますが、これでは信仰者として失格です。しかし今後学びが進む程に、知識が増えてゆく程に高慢の罠が待ち構えています。

自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭7:18‬ ‭新共同訳‬‬

因みに皆様、お持ちの聖書から「高慢」に関連する聖句を探して見て下さい。聖句検索の機能をお持ちの方は「高慢」で関連する聖句を検索されれば一目瞭然です。高慢の末路は無残なものです。

同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、/「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。
‭‭ペトロの手紙一‬ ‭5:5‬ ‭新共同訳‬‬

見よ、その日が来る/炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者は/すべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。
‭‭マラキ書‬ ‭3:19‬ ‭新共同訳‬‬

主は高慢を最も嫌われます。従って悔い改めない者達は最終的にはサタン、堕天使とともに燃え盛る火の海に投げ落とされる事になるでしょう。

そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこにはあの獣と偽預言者がいる。そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。
‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭20:10‬ ‭新共同訳‬‬

ある者が主イエスに新たな命、知恵や知識を頂いたのであれば、あくまでも主イエスの御心をなす為に其れを用いて、主イエスの栄光に繋げてお返しせねばならないのです。そこには主の被造物である人間の意思、意図の介在する余地は既にあってはなりません。ですから余計な思い煩いは一切主に委ねて、唯ひたすらに主の御心を為すべく励むのみです。

(画像引用元

間違いなく今後私には高慢さの罠がいろんな所に待ち構えている事でしょう。しかし私は真のクリスチャンとなるべく主イエスを更に愛し、感謝し、賛美し、主イエスの信仰によってそれを退け、自らの自己点検を常に行い、更に兄弟姉妹達と熱烈に愛し合いながら謙虚に忠告に耳を傾け、全ての栄光を自分にではなく主に帰すべく以降も励んで参りたいと思っております。記事をご覧下さった兄弟姉妹の皆様、改めて今後ともどうぞよろしくお願い致します。
【賛歌。ダビデの詩。】神の子らよ、主に帰せよ/栄光と力を主に帰せよ 御名の栄光を主に帰せよ。聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。
‭‭詩編‬ ‭29:1-2‬ ‭新共同訳‬‬

わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。このイエス・キリストに、今も、また永遠に栄光がありますように、アーメン。
‭‭ペトロの手紙二‬ ‭3:18‬ ‭新共同訳‬‬

この記事を介して皆様と頂いたご縁を含め、私の全てを主の栄光に帰しそれが永遠に続くよう祈り願います。

皆様、もうあまり時は残されておりません。今こそ聖書の学びと実践に共に励んで参りましょう。

最後に今回の投稿は教会の監督者ミカエル氏及び所属する兄弟姉妹からの学びの中で行ったものである事を申し添えます。