光る君へ⑮「おごれる者たち」

ときは永祚2(990)年。

円融帝を退位させたのち花山天

皇を追いやった寛和の変から4

年経った。その首謀者の関白藤

原兼家は、長男・道隆の娘・定

子を一条天皇の中宮に嫁がせ、

同年7月26日61歳で世を去った。

 

ときは永祚3(991)年

関白藤原道隆

関白になった藤原道隆。

道隆は、姉の詮子(花山天皇の妃)

を、内裏から体よく十条殿に移し、

息子の伊周(これちか)を蔵人頭

に抜擢し、身内をもって権勢を振

るう。

 

 

 

藤原道隆(兼家長男)と藤原道長(兼家五男)

 

藤原道兼と道長

兼家の三男・藤原道兼。

兄が関白になったことに不満をも

ち酒を飲み、自暴自棄になり、藤

原公任の邸で居座る。

「俺には生きる場所がない」と

いう兄に、道長は「あります!」

と、「わたしがお支えいたします

と」いう。

 

 

道長(兼家五男)と道兼(兼家三男)

 

源倫子・藤原穆子と源雅信

道長の正室源倫子の父の左大臣

源雅信が亡くなる。

源雅信は、倫子を天皇の妃妃(皇

后)にすることであったが、雅信

の妻・藤原穆子が有望な道長をつ

よく推し、倫子は道長の正妻にな

る。

母子は、父のもとで「幸せでした

」と旅たちのことばをいう。

源雅信永祚3(991)年7月29日

逝去。

 

 

 

源雅信(増岡徹)と藤原穆子(石野真子)・藤原倫子・藤原道長

 

紫式部家族

まひろの弟・藤原惟規が狭き門

の大学合格祝いの会が自邸でも

たれる

 

 

藤原為時(岸谷五朗) 弟・藤原惟規(高杉真宙) まひろ(吉高由里子)

 

一条天皇・定子と道長

父が円融天皇で、母が兼家の次

女の詮子で、980年に誕生した

一条天皇。

永祚3(991)年10月家隆は娘

・定子を一条天皇の中宮にする。

のち道長が長女・彰子を一条天

皇(986-1011在位)に入内さ

せ、定子、彰子は世継ぎをめぐ

る政争に巻き込まれる。

 

 

 

定子(高畑充希)一条天皇塩野瑛久)

 

定子と清少納言

関白道隆の子

 

 

 

 

定子と清少納言(ファーストサマーウイカ)

 

道長と道隆・伊周

関白道隆の子・伊周(これちか)

は弓の名人。

叔父の道長にしつこく弓くらべを

と誘い、これを負かしておごる。

道長、自分の願いを言い、矢を射

ようという。

たがいに「我が家に帝がでるよう

に」と矢を放つた。

結果道長が勝ち、次いで「我、関

白になるように」で、関白道隆の「

やめ!」で終わる。

 

 

 

弓くらべ

 

石山寺詣

石山寺詣でまひろ、さわは道綱母

とその子・道綱と出合う。

まひろが愛好した「蜻蛉日記」作

者の兼家の妾・道綱母の歌、

なげきつつひとりぬる夜の

明くるまはいかにひさしき

物とかはしる

 

ひとりで寝る夜は、いかに明ける

までが長いかわかるでしょうか。

と詠んだ歌は、女の心と体は裏腹

で、妾にならないで、正妻にして

くれる殿を選びなさいと助言し、

心の傷を癒すために、歌や日記を

書いてきたという。

 

 

 

藤原道綱(兼家の二男)、道綱母(兼家の妾)、さわ、まひろ

 

その夜、道綱は部屋にゆき、まひ

ろと思いしが、まちがってさわと

寝てしまう。

 

 

紫式部は琵琶湖のほとりである

石山寺に籠り、湖に映る満月を

眺めていた時に『源氏物語』の

構想がひらめいたと伝えられて

いる。

この頃、都近くでは疫病が流行

していた。

 

 

石山寺詣のまひろ

 

ときは過ぎ去ってゆく。

この年永祚3年。おごれる者た

ち、ひさしからず。

時代は過ぎ、平家の栄華を描い

た物語に「祇園精舎の鐘の声、

諸行無常の響きあり。沙羅双樹

の花の色、盛者必衰の理を表す

。…おごれる人も久しからず、

ただ春の夜の夢の如し」とある。

次回⑯「華の影」につづく。

 

 

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