ときは、寛和2(986)年。

この年も不思議な事件が起こった。

これを世に「寛和の変」と呼ぶ。

 

事件が幾つも起こったことを、後世

の日記、随筆、物語や絵画などで語

り継がれてきた。

 

寛和の変と花山天皇

花山天皇が出家し、一条天皇が践

祚した。この頃の前から幾つかの

妙な事件が起こっていた。

出家を知った当時の宮廷の人々や

庶民らは、わずか花山天皇の2年

の治世(984-986)に驚いたと

いう。

『栄花物語』(赤染衛門・正編30

巻)では「あさましう悲しくあわ

れ」とある。

寛和の変

(陰謀・花山天皇出家)

花山天皇の寵姫弘徽殿女御・藤原

忯子は妊娠中に、寛和元年7月に

失くし、花山天皇は、妻が成仏で

きるようにと日々祈る。

『大鏡』によると、兼家の息子・

道兼は、自身も出家するとだまし、

内裏から元慶寺(花山寺)に連れ

出した。(寛和2年6月23日)

元慶寺に着き、右大臣兼家は子の

道隆や道綱らに命じ、三種の神器

を皇太子の居所であった凝花舎に

移したのち内裏諸門を閉

じた。天皇同伴の道兼は、天皇の

落飾を見届けたうえ、本人出家せ

ずに寺を抜け出した。

一方側近の藤原義惟、惟成は内裏

から行方不明になった花山天皇を、

元慶寺(花山寺)で見つけ、義惟、

惟成は共々出家した。

 

 

花山天皇出家(寛和の変:寛和2・986年6.23)

 

斎宮(済子)

花山天皇の即位に伴い斎宮にト(

ぼくせん)された、章明親王の王

女の済子(なりこ)。醍醐天皇の孫

 

済子(なりこ)父

母・藤原敦敏の女の済子は、醍醐天

皇の孫で寛和元年9月26日斎宮とし

て野宮に入り、禊所に葬送の火が見

え、不吉とささやかれた。その上に

同月28日に野宮に盗賊が入り、侍

女の衣装が奪われる前代未聞の事件

があった。

翌年寛和2年6月19日花山天皇の践

祚が起こる4日前。

伊勢神宮の斎宮として勤めることに

なっていた・済子(なりこ)は、伊

勢に下向する前に京都の野宮神社に

て潔斎のときを2年過ごしていた。

 

 

醍醐天皇の孫・済子(なりこ)

 

滝口平致光(警護侍)

京都の野宮(神社)にて。

斎宮の警護にあたっていた滝口の

武士、平致光(たいらのむねみつ)

がいた。

 

 

野宮の警護侍滝口平致光

 

斎宮・済子と滝口平致光

滝口平致光、この男は聞えある美

男で、ならびなき好色あり。

見る人恋にしづみ、聞く者思ひを

かけぬはなかりけりと云ふ。

斎宮は、暖簾の中よりご覧じけれ

ば…、男の影さす事もまれなるに、

御心のうちいかが思しけむかな。

 

密通

寛和2年6月19日野宮から突然、済

子は退下する。

『十訓抄』によると、斎宮に男とあ

ってはならない関係、密通が露見し、

これ以後「それより野宮の公役はと

どまりにける」と滝口の武士を置く

ことを禁止した。とある。

 

 

寛和の変を題材にした春画「小芝垣草子」(986.6.19)

 

寛和の変(三つ巴の争い)

寛和の変は三つ巴の争いのなかで

起こっていた。

右大臣藤原兼家・関白・頼忠と

山天皇・藤原義惟

花山天皇は、藤原三兄弟(伊尹、

頼忠、兼家)の伊尹(没)の娘・

懐子と冷泉天皇との子で、即位の

とき、外叔父の藤原義惟、乳母子

の藤原惟成が宮廷の実権を握るこ

とになる。

これが関白藤原頼忠との確執を招

き、宮廷では藤原姓の義懐と頼忠

、兼家との争いとなる。

藤原兼時と左大臣・源雅信

源雅信(920-993)は宇多法皇

の孫で、醍醐天皇の甥になる。

兼時にとって左大臣・源雅信を越

えるには娘・詮子(円融天皇の女

御)の子を天皇にすることであっ

た。

 

「小芝垣草子」(月の影)

こうしたなかで寛和の変の4日前

の事変を題材にし、これを春画「

小芝垣草子(こしばがきぞうし)、

に描いている。

夜が更ける。小柴のもとに伏した

る男がいる。小袖一枚を引きかけ

縁の下で寝ている男を踏みつけ起

こす。

白く美しきところ、また黒くある

ところ、月の影に見出したる心ま

どひ、いはむかたなし。

 

平安時代末期の画と言われている

が、いつ、誰が描いたか不詳。

いつの時代もそうだが、真実がわ

からないままほうむられていく。

昔も今も変わらないのが浮き世で

ある。

 

 

 

寛和の変(醍醐天皇の孫の済子・斎宮)

 

 

 

野宮神社(京都市右京区嵯峨野宮町1)

 

寛和の変と時代

寛和の変は、時代を揺り動かす、

時代が変わる大きな事変となった。

この頃まで天皇が政(まつりごと)

の中心にあり、これを執りおこな

っていたが、この変以後天皇にか

わり藤原氏の父子(兼時・道隆・

兼家・道長)が摂政・関白となり、

時代が摂関政治と転換することに

なる。

 

Enjoy源氏物語(年譜)

永観2(984)年

8月円融天皇譲位。花山天皇践祚。

10月藤原為時、式部丞に任ぜられ

る。

寛和2(986)年

1月清少納言父・清原元輔、肥後守

に任ぜられる。

6月花山天皇、出家、退位。一条天

皇践祚。

中納言藤原義懐(花山天皇叔父)出

家。藤原兼家、摂政となる。

7月詮子(兼家娘)皇太后となる。

 

 

藤原兼家の一族(中央:藤原詮子)

 

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