戦後77年。

ウクライナ侵攻から6ヶ月。

世界の中の日本、岸田内閣(2021.11.

10ー)は内憂外患。

閣僚はじめ議員の統一教会の関連が問

われている。

自民党結党以来内閣誕生の裏で、これ

に関与してきた児玉誉士夫が明かすそ

の誕生秘話。

 

彼は、たとえ上手で、旗幟鮮明。暗闇

の黒幕といわれるゆえんを自伝で知る

ことができる。

 

 

1945.8.15皇居・二重橋前広場

 

鳩山一郎内閣

自民党結成前(1952.8)、箱根で

の児玉誉士夫と鳩山一郎。

 

 

児玉誉士(左2番目)夫と鳩山一郎(左3番目)

 

自民党結成(1955.11)

児玉は戦前の国会が「本競馬」としたら

戦後は「草競馬」と評し、自民党は「箸

にも棒にかからぬ」手合い(議員)が占

めている。といい、「気が弱くて、人情

家な鳩山さんは当代あつらえ向きの政党

総裁ではなかったようである。」と評価

する。

 

 

由民主党を結成(初代総裁鳩山一郎を公選、昭和30年1955.11.15)

 

石橋湛山内閣

総裁選の前日、「河野がいまのうち石井

くんに会って、決選投票となった場合、

岸さんを支持するよう頼んでおいてはど

うか」といわれ、翌日早朝、上野池ノ端

のある料亭で石井さんに会いそのことを

話してみた。

結果、「その場合、自分の派の連中に石

橋に入れろ、と断じて強要しないからぼ

くの気持ちを諒承してほしい」とのあ

いさつであった。

帰途車中で、ふたたび三度頭をひねった。

石井三次郎というひとは緒方竹虎さんの

直系だが。

まるで暗闇のなかで、うなぎを捕まえ損

じた気がしてならなかった。

 

12月14日総裁選の開票結果は岸(223)

、石橋(151)、石井(137)。決選投

票となり石橋湛山(258)、岸信介(25

1)、わずか7票の差で石橋が総裁につく。

石橋内閣の三支柱、池田蔵相、石田博英

(官房長官)、三木武夫(幹事長)の三

氏が石橋首相をかつぐ。

ところが肝心な石橋氏が脳溢血な病気に

とりつかれ、在任9週間という超短命内

閣に終わるり、一寸先は暗闇である。

吉凶あざなえる縄の如し。

 

岸信介内閣

昭和32(1957)年2月岸信介が首相

になる。

党の長老・大野伴睦氏が副総裁、河野

一郎氏は総務会長に、佐藤栄作氏は蔵

相に、そして池田派、その他各派にも

大臣の椅子が割り振られる。

岸政権、当分安泰かとみえたが、社会

党は警職法が上程にされるに及び猛反

撃に出る。

法案は当時の社会情勢に応じ、警察が

武器を使用できる項目があり廃案とな

る。

さらに加え党内で反主流派が日米安保

条約改定の時期尚早論まで飛びだし、

同年12月27日池田勇人(国務相)、

三木武夫(経企庁長官)、灘尾弘吉

(文相)は党内人事刷新を叫び、辞

表を提出。

岸総理は、つぎの総裁の再選重任の

目途がつず、熱海の別荘に大野・河

野の両方の実力者をまねき、岸政権

の協力をたのむ。

ところで、この程度の話合い、シナ

料理でいう前菜みたいなもの。

政治家はあてにならぬ。

 

政治家はあてにならぬ

四者の話し合いに立ち会い誓約書を

かわす。

誓約書の内容、『昭和34年1月16日、

萩原・永田・児玉三君立会の下に於い

て、申し合せたる件については協力

一致、実現を期すること、右誓約す

る』と認め、それに岸・大野・河野

・佐藤の各氏の順で署名し、この一

札は萩原さんが預かることになった。

 

 

 

児玉誉士夫が立ち会った四者間の誓約書(自民党総裁選)

 

こんな政治の舞台裏にあえて登場

する必要ないわけだが、わが国唯

一の保守党である自民党をして、

国民一般からほんとうに信頼され

うる、健全な政党になって貰いた

いとの純粋素朴な気持ちによるも

のであった。

結果、昭和34(1959)年1月2

4日の党大会では岸信介が全票の

3分の2を獲得し、松村謙三を圧

倒的に押え総裁になる。

 

 

岸信介は冷戦下のもと、首相とし

1960年の安保改定を乗り越える。

岸信介と統一教会は、反共産主義を

掲げ、たがいの利益・保全ために一

体となる。

岸信介は、東京の教会本部で講演(

1970)もし、合同結婚式にメッセ

ージを送る(1982)など長年に渡

る関係にある。

率直に言う、旗幟鮮明。岸信介は「

昭和の妖怪」で岸鮮明である。こう

して自民党は戦後から受け継がれて

今に至る。

 

 

 

「条件はひとつ(天皇体制護持)」(児玉誉士夫)の皇居(二重橋前)

 

参考(メモ)

昭和元(1926) 年

昭和2(1927)  年  田中義一(内閣、昭和4没)

昭和3(1928)  年      久原房之介(鮎川義介)

昭和7(1932)  年  満州国(「弐キ参スケ」)

           (東条英機・岸信介・鮎川義介他)

昭和16(1941)年  第二次世界大戦「開戦」

昭和20(1945)年  終戦「敗戦」

昭和21(1946)年  東京裁判

           吉田茂(日本自由党総裁・内閣)  

昭和23(1948)年  昭和電工事件(GHQ関与)

昭和23(1948)年  芦田内閣(1948.3-10)

           吉田内閣(第2-3次・1952)

昭和25(1950)年  朝鮮戦争(~1953)

昭和26(1951)年  日米安保条約

昭和29(1954)年  吉田内閣(1948-1954)

           自由民主党結成

           鳩山一郎内閣(1954.12-1956)

昭和31(1956)年  石橋湛山内閣(1956-1957)

昭和32(1957)年  岸信介内閣(1957-1960)

昭和35(1960)年  日米安保条約(改定)

           池田勇人内閣(1960-1964)

昭和39(1964)年  佐藤栄作内閣(1964-1972)

昭和47(1972)年  田中角栄内閣(1972-1974)

昭和49(1974)年  三木内閣

昭和51(1976)年  ロッキード事件、福田内閣

昭和53(1978)年  大平内閣

昭和55(1980)年  鈴木内閣

昭和57(1982)年  中曽根内閣

昭和62(1987)年  竹下内閣

平成  2(1990)年  角栄政界引退・越山会解散

平成  5(1993)年      細川連立内閣 角栄死去12.6

 

 

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