江戸時代の浮世絵の枕絵「吾妻

源氏」は、当時一流の絵師歌川

豊国が絵を描く。

 

歌川豊国「吾妻源氏」

歌川豊国

「吾妻源氏」は枕絵師・不器用

又平(ぶきようまたへい)作。

不器用又平の名は枕絵の隠号。

浮世絵師三代歌川豊国(初代歌

川国貞)は、この隠号で「吾妻

源氏」を描く。

のち豊国(1764-1864)と

名乗り、歌川派の大御所となり

江戸の当代人気絵師となる。

 

枕絵「吾妻源氏」

「吾妻源氏」の正式名は「花鳥

余情吾妻源氏」豊国は源氏物

語をもとに三源氏の作品を創る。

その枕絵のひとつが「吾妻源氏」

で、多色摺木版画の画を描いた

天保期中頃(1836-37)

国20代後半の枕絵である。

 

(光源氏と女三宮)

 

 

光源氏と女三宮(「吾妻源氏」上巻)

 

女三の宮の猫の条を描く。

暖簾の内の女三宮は、単衣を口

に加え、二匹の猫が交尾してい

る様子を見、光源氏が暖簾の外

に顔を出して眺めている。

 

(料亭の夏の夜)

 

 

料亭の夏の夜(「吾妻源氏」上巻)

 

料亭の夏の夜。

蚊帳が巻き上げられ、敷布団の

上に花蓆(はなむしろ)が敷か

れる。

うつ伏せになった女に背後から

男が挑み、女は目を開けている。

 

(交歓のあと)

行為が終わった後の男と女。

屏風(左)に「婦喜用 又平画」

とある。

 

 

交歓のあと(「吾妻源氏」下巻)

 

江戸に浮世の絵に華が咲いた頃。

浮世絵も まず巻頭は帯とかず

 

と枕絵は浮世絵と同じで公然と

販売されていた。

あらゆる絵師が枕絵をかき、ま

た作者のほとんどが艶本の筆を

とっていた時代。

その後取り締まりは、享保7(

1722)年11月にはじまり、寛

政2(1790)年、天保12(18

41年)と、三度あるなか「吾妻

源氏」の作品は天保期中頃(18

36-37)に刊行され、規制から

逃れた作品。

 

 

若き歌川国貞の多色摺木版画枕絵「吾妻源氏」

 

 

三代歌川豊国の若き歌川国貞のと

きの枕絵で、一枚の絵には色板2

0枚以上、摺り40度を越える多色

摺木版画で、絵師・彫師・摺師に

よってできた枕絵である。

三代歌川豊国は、役者絵、美人画

素をとりいれ、源氏絵など時

代の流行をつくり、江戸末期には

歌川国芳(1797-1861)、歌川

広重(1797ー1858)とともに

気絵師であった。

 

 

 

「吾妻源氏放生会の図」(大判錦絵3枚続の内2枚。安政元年1854年)

 

 

三代歌川豊国画「吾妻源氏放生会の

図」の三枚の絵の内一枚は明治以後

国内になかった。

欠けた左端の絵は画家ゴッホ(1853

ー1902)が持っていた。

 

 

 

2021.4.25

川柳「未摘花」(大和茶屋・遊女)ー男と女の物語(118)