兵庫の三田(さんだ)
三田駅から武庫川を渡ると、三田小学校が
あり、学校のそばには三田城跡、川本幸民
の顕彰碑がある。
 
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三田小学校前の史跡三田城跡
 
そして校門前の道路をはさんで、元良(も
とら)勇次郎の顕彰碑がある。
 
 
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三田小学校向かいの元良勇次郎顕彰碑(上田桑鳩書)
 
三田市は神戸の北にあり、平成にはいり、
住宅開発で急激に人口が増え、現在人口
約11万人の大きな都市になっている。
 
三田藩と神戸(九鬼氏と福澤諭吉)
約150年前、明治維新のときに、最後の
三田藩主九鬼隆義らが、家臣とともに、
福沢諭吉の助言を得て、神戸にゆき志摩
三田商会を設立し、薬品などを輸入し事
業を起した。
三田藩の川本幸民は、江戸で緒方洪庵と
ともに蘭学を学び、晩年、故郷三田に戻
り、英蘭塾を開き、のちに維新後に活躍
する人材を輩出している。
 
元良勇次郎と新島襄
ところで、三田では、福澤諭吉とともに、
日本キリスト教団の新島襄ともゆかりがあ
る。
 
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屋敷町(三田市)の英蘭塾跡(手前側)と元良勇次郎生誕地
 
元良勇次郎は、三田藩校造士館の教授杉田康(
ゆたか)の次男として生まれる。(安政5年18
58年)幼少期より川本幸民の英蘭塾で英語を学
び、元良米子と結婚し、元良と改正する。
 
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川本幸民の英蘭塾跡(金心寺)
 
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英語塾の隣に川本幸民生誕地(杉田家)
 
元良勇次郎は、新島襄が明治8年に創立
した同志社の最初の入学者である。
勇次郎は、明治14(1881)年東京英学
校の創立に参画し、同校はのちに、青山
学院に発展する。同志社在学中に心理学
に関心をもち、明治16年に渡米し、ボス
トン大学などに留学し心理学を修め、東
京大学の心理学教授になった。(明治23年)
科学的に「心」を解明することを研究テー
マとした元良勇次郎の座右の銘は「思無邪
(思いよこしまなし)」。
 
九鬼隆義とキリスト教(三田)
明治5年(1872年)。九鬼隆義は、神戸へ
出て、商社などの事業を行い、不動産投資で
成功する。当時、キリスト教禁制だが、有馬
温泉で米人宣教師デービス一家に会い、キリ
スト教に関心を示した。藩主であった九鬼隆
義の影響を受け、旧三田藩士らにキリスト教
が広まった。
明治8年。宣教師が神戸より三田に訪れ布教
がおこなわれ、新島襄が創設した同志社の開
校(明治8)には、三田から元良勇次郎、佐
治職、竹内雄四郎、田中伝吉、大沢芳太郎ら
が入学する。
明治10年。キリスト教徒が多かった三田に
は、摂津第3番目の教会が設立され、その
献堂式に新島襄が三田へ来て司会をする。
 
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日本キリスト教団摂津三田教会(明治8年設立)
 
 
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最後の三田藩主九鬼隆義は、明治20(1887)
年、神戸の摂津第一教会で洗礼を受け、キリ
スト教徒として晩年を過ごした。
 
 
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10月13日