かなしみはいつきえる

  ゆうこ 2

家を建てる侑子もお手伝い 

1982年昭和57年5月5日

このころ住んでいた家はあばら家で4畳半の台所キッチンと3畳と6畳の2間でした。

あまりにも狭く隙間風は、入るし家族4人では住める様な家ではありませんでした。

そのころ、娘4歳と息子7歳、妻の4人家族貧乏でしたが楽しい我が家でした。

お金もないので、手作りで家を建てることを決意して。

           

         1-1旧の家従姉妹とお誕生会

独学でお勉強1年そして計画を練り基礎を堀り始めましたのが、昭和57年5月吉日。

1982年、私38歳でした。

工法は、そのころは、まだ、未確認のツバイフォーと言う造り方(2×4)。

今2015年では支流になっています。

このころはあまりやる人はいませんでしたし工務店もまだ着手はしていませんでした。

全国的には商業には乗っていなかった。

子供たちと妻と家族で会社の休み休みに楽しみながら協力して基礎を造り始める。

貧しくも充実した楽しい家族の日々でした。

基礎が仕上がると固まるまでの期間が必要なため、大工の仮小屋(こくや)をそばに立て木を購入して前もって書いた設計図道理に木を切って行きます、こうして会社の休みを利用しての家造りが始まりました。

 
         

         1-2炭引き

学校の休みや幼稚園の休みには子供たちが私の仮小屋に来て私が、印をした所に金指を使って線を引いてくれました、又基礎の時には栗石を一生懸命運んで頑張ってくれたのです。

それを、私が電気ノコで引く素晴らしい家族の絆がここにありました。

予定の木を伐り、家の組み建てにかかります。

この頃になると友達とか従兄弟が応援に駆け付てくれた日もあり形ができていきます。

基礎堀から8か月、木を伐り出してから3か月して荒立てができた。

雨風が入らないようにして、トイレ・バス・調理ができるようにして引っ越しそれが昭和57年12月の事でした。

         

                 1-3子供お手伝い