父からの電話で、すぐに実家のある宮崎へと向かった。
羽田空港に向かうバスの中でも、
空港についてチケットを手配するときも、
私が考え思ったことは後悔だけだった。
母の病気を知り、結婚を決めた私。
その相手からの暴力、女性問題。
そのことを家族に話してしまったこと。
娘を心配して母は、
その病気に侵された身体で横浜へと駆けつけてくれた。
それは、思った以上に母の身体の負担になった。
心身共に無理をさせてしまったこと。
そのことを私は深く後悔していた。
こうような状態になるなら、亮に殴られていたほうがよかったのかもしれない。
自分が、食べられない方がましだった。
眠れない方がどれだけましだっただろう。
身体が震えた。
自責の念や怒りでどうにかなりそうだった。
母に花嫁姿をみせたいと思わなければよかった。
結婚などしなければよかった。
今までの自分の行動を
すべて否定する想いでいっぱいだった。
もし、母がこのまま回復しなければ…。
今まで信じていた希望は、
自分を責める思いで薄れていく気がした。
回復したら、移植の治療が待っている。
移植を受けて、母は元気になる。
そのために、今まで頑張ってきたはず…。
余命の1年を過ぎて、
3年間、生きつづけたのは癌に勝つため…。
今まであった、その強い想いは風船が萎んでいくように小さくなり弱弱しく感じた。
宮崎に着きバスに揺られながら、母を想った。
母に謝りながら、母の元へと向かった。
自分を責め続けながら、
母の入院する国立病院にたどり着いた。
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追記です。
書いてくださったコメントを読んで、今の思いを書いたほうがいいと思いましたので書き加えます。
当時は、この記事にあるように自責の念が強くありました。
母の死を早めたのは私ではないか…その思いが強くあったのです。
しかし、母の想い(これからブログの中で書いく予定です)や周りの友達などに助けられて、
今は、ほとんど自責の念はありません。
当時、離婚や母の病態の悪化で、私の精神的不安定もあり、
1年は自分を責める思いはありましたが、それも時間が過ぎると共に薄れ、
感謝だけが残りました。
いまは、母のためにも感謝の気持ちをもって生きていきたいと思っています。