【大6旬】月支・天剋地冲に起った出来事によって、その後の方向性は変わったのか⁈

 

ということで、今年は大6旬の7年目に当たり、大運と年運の「甲」が重なる年

大きく変わりつつある途中、経過中ではありますが、前編として自分自身を検証・考察 ⇒ その後の感想を記していますにっこり

 

今日は2回目です

 

 

 

霊魂(無)+ この肉体(有)、このふたつで私という人間(一極二元論)なのですが、自分の意識が霊魂から発せられているということ自体に気づかず、、、、だけど実際気づかなくても、生きていけてるのが人間

 

なので、、、、そういうところが、逆に自分の中で、”霊魂というもの”を実感すること(発見)をむずかしくさせてるのですよね泣き笑い

 

 

知らなくても、それでも生きて行けるのだけど、生きて行くなかで、都度都度、どこかのタイミングで自分の意識の中にチラチラ現れる、私の中の私的な、もう一人の自分がいる、、、のは確かで、、、(たぶんそれが霊魂だと思っているのですが、、、タラー

 

 

確かに居るけど、ソレはダレといわれても困ってしまうような、、、はっきりと表現しきれなくて、自分でもとてももどかしいです

 

 

 

ソレを見つけるには、、、

もう一人の自分に出会うには、、、

 

なにかの出来事が起こる必要があるように思います

 

 

ソレはなにか起こると同時にひょっこり顔を出してくるので、現実の自分と必ず対峙することになるからです

 

ソレが現れることによって、何かに気づけたり、自分の本質(本性)を垣間見れたりして、その結果、現実の自分の行動にも変化が起きるのかなと思います

 

 

 

 

以前は、現実の自分は主星(調舒星)で、このもう一人の自分のことを、日干(庚)だと思っていたのですが、どうも違うみたいで、、、知らんぷり

 

 

今は、現実の自分というのは、日干+主星で、もう一人の自分とは、その宿命に融合されている霊魂じゃなかろうかと思うようになってきました気づき

 

 

ソレの正体は自分の霊魂(魂&魄)⁈ウ----ム真顔

 

 

 

霊魂というのは星という姿で現れてくるのですが、その星として現れてくる時の”現れ方”に、影響を与えているのだろうと思います(同じ貫索星でも、人によって趣が違う理由のひとつ)

 

それまで生きてきた間に、環境からの数々の気(霊魂)との融合によって作られた自分の霊魂が、星として表れる(燃焼する)時、その炎(姿)に、個人の持つ霊魂の色が溶け出している、ということなんだと思います

 

 

 

対峙している時にチラチラ顔を出すその相手は、色(有色無色問わず)という霊魂が、現実の私に訴えているってことで、燃焼されたがっている霊魂の願望だと捉えています

 

 

 

 

 

あんぐり不安「・・・・・・」

 

なんかどうも話が脱線しすぎてる???ニコニコワラッテゴマカソウ

 

 

 

 

現実の自分が、チラチラするソレ(霊魂)の正体に気づくのは、何かあった(変化)時で、その変化が予め仕込まれているのが大運

 

 

大運は、最初から宿命とニコイチのセットになっていて、個々の宿命にピッタリの個別の変化(春夏秋冬)を起こすことで、その宿命の宿主(人間)を覚醒させるための仕掛けなんだと思います

 

 

無願(本来の霊魂の思い=神さまと約束=この世に生まれた本来の役目=神の意思)にたどり着かせて、その願いを叶えるための大いなる仕掛け真顔

 

 

さしずめ前半(大1~5旬まで)は、登山的(頂上の見えない)有願燃焼ステージで、大6旬は、階段の踊り場的一度立ち止まって、整理整頓、周りを見渡し&足元確認ステージ

 

有願の燃焼がうまくいって、無願に呼ばれる準備が整っていれば、そこに向けて方向転換するステージかなと思います

 

 

 

 

 

一度まとめてみます

 

 

日々巡り来る、年、月、日の運勢は、みんなに共通だけど、大運だけは個人的なタイミングと、宿命という能力とセットになっている

 

それぞれに渡り歩いていくステージ(テーマ=環境)は個々人違っていて、それは10年ごとに、意識の向き(目的=月干)と心(月支)が自動的に変っていく中で、次々現れるもう一人の自分(霊魂)と対峙し、それに打ち勝つ(魄(=有願)の燃焼)ことで、自分自身が徐々に覚醒していく仕掛け

 

 

大運前半は、自分自身をマスターする(自分に気づき→自分の命の使い方を知る)ため、後半は、そのマスターした(覚醒した=本来の自分を知った=霊魂に気づいた)自分が歩む無願の道が用意されている

 

 

 

 

この視点で考えると、現実の自分はもう一人の自分(霊魂)に操られている操り人形かもしれないなぁ~なんて思ったりもしますにっこりソウカンガエルトガゼンタノシクナッテクルーーー

 

 

 

 

算命学の神さまは人格神ではないので、運勢というステージの場面展開を、人間っぽく魂胆入りで仕組んでるわけではないけど、私たちが歩む人生は、実に変化に富んでいて、まるで本当に誰かに仕組まれているように、おもしろく設定されていますねスギテミテハジメテワカルナァ...にっこり

 

 

知らぬ気づかぬ間に、10年ごとにあたらしいテーマの扉が開き、自分を取り囲む環境が変化していってるなんて、なんてドラマチックな仕掛け目がハート

 

 

自分の宿命の気(色つき霊魂)が、その新たな大運の気に反応しているだけなのだけど、その反応した気(色つき霊魂)が、気→心→体と、各人の心を通って、行動(体)として表れる現実は、知らないうちに前の旬から変化していて、その変化は自分自身にも、周りにも影響を与えることになります

 

 

 

 

 

今回検証した大6旬は、起承転結でいうと「転」に当たる、人生の踊り場で一度立ち止まり、整理整頓して必要とあらば方向転換するための準備期間のようなもの

 

大運は月干支(精神縦線の南と中央)の場所で、心(月支)と家系の流れ(月支)と目的(月干)が変化していくのですが、

 

大運占技では、親先祖の系譜の位置ということで、初旬を重視しているのですが、(ただこれは今は置いといて)この6旬の天剋地冲というのは、人生が始まって、真反対の場所、真反対の時間、折り返し地点だとすると、どの場所、どの時間との折り返し地点(天剋地冲)なのかというと、大1旬の前の大0旬(仮)で、天剋地冲されるのは、自分自身の月干支なのです

 

 

その意味は、(月支)と家系の流れ(月支)と目的(月干)が、折り返し地点に来たってことです

 

大6旬に因縁解脱の意味がある理由はこれなんですね

 

今まで大1旬に出発してから大5旬まで、ある方向を向いて歩んできた、心と家系と目的が、一斉に方向転換する(ようなことが起こる)

 

 

検証してきた通り、それらしいいろんな出来事が起きていました気づき

 

 

それによって、今までしたことのない人生の振り返り&まとめなんかしちゃったりして照れ、やっぱり整理整頓の大6旬だと感じています笑

 

 

 

 

なんか長々と支離滅裂で、、、失礼しましたm(__)m

 

 

次回、もう一回、、、、タラー

 

つづきます

 

 

 

 

 

 

 

 

まちがい・かんちがいは多々あり

そのうえ自論&推測のおまけつきで

同じことをなんども書いては消しをくり返す始末

さらには考え方も変化し続ける進化系

究極はブログ管理が出来ておらず

テーマはあってないようなありさま

また内容のわりにタイトルがかたく

読むとズッコケるパターンではありますが

勉強中につきナニトゾご容赦ねがいます

<(_ _)>

 

 

 

記述のない『青文字』内、図、グラフ等は

青龍塾の講座、青龍先生のブログより引用しています

<(_ _)>

 

 

『紫色の文字』は原典算命学体系より

引用しています

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