街の交通の拠点はかつて国鉄標津線の中標津駅があったところ。操車場もあった跡地にはバスが発着する櫛形のターミナルと、芝生の広場が設けられている。開拓で入植された典型的な街で、「大きな川のあるところ」という標津の地名の所以通り、碁盤目状の市街地が標津川の段丘に開かれている。北側の石段を上るとその様子を俯瞰、ちなみにこの石段やかつての中標津駅は、昭和の映画のロケ地にもなったという。やや郊外には「北の国から」で純君の担任の先生が住んだ家もあるそう。
また中標津は開拓以前はアイヌの人々も暮らした地で、オホーツク海に面した斜里から斜里岳の裾野を巻き根室海峡に面した標津へ至る、「斜里山道」という街道が標津川沿いを経由。辺りには宿地もあったそうで、段丘の斜面に位置する中標津神社には、アイヌの人々の砦「チャシ」があったとの説明も見られた。
段丘を登り切った高台には、北海道らしい風景が。先へ行ってみましょう。
また中標津は開拓以前はアイヌの人々も暮らした地で、オホーツク海に面した斜里から斜里岳の裾野を巻き根室海峡に面した標津へ至る、「斜里山道」という街道が標津川沿いを経由。辺りには宿地もあったそうで、段丘の斜面に位置する中標津神社には、アイヌの人々の砦「チャシ」があったとの説明も見られた。
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