柳町商店街南外れの郡山八幡神社は「グラブ神社」と呼ばれ、野球の上達を祈願する人が訪れる珍しい御利益の神社。大和郡山はグラブの生産が日本一なのにあやかっており、グラブを飾った扁額に、拝殿の前には古いグラブ供養の納場もあるなど、一風変わった境内風景が見られる。商店街を中程まで引き返し、醤油のホーロー看板が現役な古い商店や市街の小道を抜けたところには、源九郎稲荷神社の社殿が構える。九郎判官こと源義経が吉野から奥州へ逃れる際、義経を守った武将の佐藤忠信がここの狐の化身だった伝説がある。花の寺でも知られ、この時期は紫陽花と百合が見事だ。
あたりにも細い格子の町屋が見られ、路地へと入るとかつて遊郭だった洞泉寺町へと入り込む。幕末には6軒の遊郭が集まり、昭和初期までは公認遊郭、戦後も料亭として残っていたという。川本家住宅は3階建ての大規模な遊郭で、現在は「町家物語館」として内部が見られる。入ると正面に帳場があり、客はここを経て中央階段で2階の案内所へ。道路に面した小部屋は娼妓だまりで、娼妓は部屋の奥の階段を登り案内所で客と合流。客間は南北東西をめぐる廊下沿いのほか、大階段を登った3階にもあり、合わせて14部屋備えられていた。
回廊沿いに歩いてみると、窓に細かい格子がついた3畳ほどの部屋が並び、当時の様子がわかる。遊郭の廃止後は貸し間や下宿にも使われていたそうで、かなりコンパクトなワンルームといった感じだ。東側半分は当主の居住空間で、1階奥には大広間の応接に中庭や裏庭、納屋の蔵が。2階は生活の場で、遊郭の営業施設と当主の私的施設が区分けされながら一体となった、近代的遊郭の特徴がよく残っている。
あたりにも細い格子の町屋が見られ、路地へと入るとかつて遊郭だった洞泉寺町へと入り込む。幕末には6軒の遊郭が集まり、昭和初期までは公認遊郭、戦後も料亭として残っていたという。川本家住宅は3階建ての大規模な遊郭で、現在は「町家物語館」として内部が見られる。入ると正面に帳場があり、客はここを経て中央階段で2階の案内所へ。道路に面した小部屋は娼妓だまりで、娼妓は部屋の奥の階段を登り案内所で客と合流。客間は南北東西をめぐる廊下沿いのほか、大階段を登った3階にもあり、合わせて14部屋備えられていた。
回廊沿いに歩いてみると、窓に細かい格子がついた3畳ほどの部屋が並び、当時の様子がわかる。遊郭の廃止後は貸し間や下宿にも使われていたそうで、かなりコンパクトなワンルームといった感じだ。東側半分は当主の居住空間で、1階奥には大広間の応接に中庭や裏庭、納屋の蔵が。2階は生活の場で、遊郭の営業施設と当主の私的施設が区分けされながら一体となった、近代的遊郭の特徴がよく残っている。
