ロータリーに栃の木をモチーフにしたという前田哲明氏作の赤いモニュメント「煌樹」を見て、駅から歩くとすぐに日光例幣使街道と交差する。京都から日光東照宮へ幣帛を奉納する勅使が通った道で、名の通り家康が眠る東照宮へ至る。栃木はその宿場町として栄えたが、現在は市中を抜ける小路といった感じで、往時の面影は見られない。大正時代地区のカトリック栃木教会を過ぎると、巴波川の分流の川辺の「蔵の街遊歩道」へと出る。栃木は巴波川を利用した交易で栄えた問屋町として賑わい、当時は北関東の商都と呼ばれていた歴史がある。現在は川沿いに遊歩道が整備されていて、点在する蔵づくりの問屋や消化を眺めながらの散策が人気だ。
「なかよし」との銘のブロンズ像から中洲親水公園へ、川沿いに歩道が始まりカトリック栃木教会の建物を川沿いに見て進む。沿道には花壇や緑地、並木が整備され、潤いあるさんぽが気持ちいい。川には水門や支流の合流、堰が設けられ、水路としての構造も興味深い。沿道には床屋や鮮魚店、魚屋など昔ながらの商店が並び、生活感も感じられる。鯉を見下ろして瀬戸河原橋を渡り、巴波川が合流する瀬戸河原公園からさらに公園橋を渡る。巴波川に架かる主要な橋には、欄干にランプが据えられているのが特徴だ。
噴水がある児童公園のうずま公園の先を折れると、みつわ通りのレトロな商店街へと続く。幸運付く付くと3度唱えて鳥居をくぐると幸神がつくという「庚申(幸神)鳥居」がある鹽庚申神社は、徳川吉宗の時代に広まったガン避けとボケ封じの社。隣の玉川の湯は明治22年創業、ペンキ絵のところに金魚の水槽が配されているため別名「金魚湯」と呼ばれる。鯉の行き先案内タイルに導かれ、先を左に折れて再び巴波川沿いに出ると、蔵の街遊覧船の乗り場から塚田歴史伝説館の屋敷の黒板塀が川沿いに続く。巴波川橋から上流を望む眺めは、栃木の蔵の街屈指のビューポイントである。板塀沿いの歩道を歩いていると、竿で漕ぐ和船の遊覧船が、下ってくるのが眺められる。
「なかよし」との銘のブロンズ像から中洲親水公園へ、川沿いに歩道が始まりカトリック栃木教会の建物を川沿いに見て進む。沿道には花壇や緑地、並木が整備され、潤いあるさんぽが気持ちいい。川には水門や支流の合流、堰が設けられ、水路としての構造も興味深い。沿道には床屋や鮮魚店、魚屋など昔ながらの商店が並び、生活感も感じられる。鯉を見下ろして瀬戸河原橋を渡り、巴波川が合流する瀬戸河原公園からさらに公園橋を渡る。巴波川に架かる主要な橋には、欄干にランプが据えられているのが特徴だ。
噴水がある児童公園のうずま公園の先を折れると、みつわ通りのレトロな商店街へと続く。幸運付く付くと3度唱えて鳥居をくぐると幸神がつくという「庚申(幸神)鳥居」がある鹽庚申神社は、徳川吉宗の時代に広まったガン避けとボケ封じの社。隣の玉川の湯は明治22年創業、ペンキ絵のところに金魚の水槽が配されているため別名「金魚湯」と呼ばれる。鯉の行き先案内タイルに導かれ、先を左に折れて再び巴波川沿いに出ると、蔵の街遊覧船の乗り場から塚田歴史伝説館の屋敷の黒板塀が川沿いに続く。巴波川橋から上流を望む眺めは、栃木の蔵の街屈指のビューポイントである。板塀沿いの歩道を歩いていると、竿で漕ぐ和船の遊覧船が、下ってくるのが眺められる。
