
三の丸神社は岸和田藩主の岡部長泰が、伏見稲荷から稲荷神を勧請した社。ここの稲荷祭りの祭礼がだんじり祭りのルーツともされ、かつては車入りも行われていた。その向かいの路地に沿ってのびる町家群は、なんと一つの長屋。大正11年頃に建てられた十六軒長屋で、全長120m。長く軒下をそろえる本二階建ての和風建築で、今もほぼ人が住む現役の家屋だ。木の格子、木製の雨戸と戸袋が見られ、長屋の連結部分は隣家とつながって見えるが、家屋は壁で隔てられ独立している。4軒ごとの軒に配した「木鼻」が、装飾を凝らした造作。かつては二軒ごとに共用されていた井戸もあり、一部に残っているという。
さらに先に並んでいるのは、洋風の長屋。出窓に三角屋根、屋根の下部が垂直に折れた腰折れ式屋根が特徴の、当時先端だった洋風集合住宅である。フランスの建築家の名から「マンサード長屋」と呼ばれている。大正時代末期に建てられたといわれ、寺田財閥による五風荘などに隣接していることから、当時紡績にて賑わった岸和田の関係者が入居したといわれる。十六間長屋と同じ提供先との説もあり、和洋を選択して入居していたとも。