和歌山城大手門からは本町通りを北へ、和歌山市街の繁華街を歩く。本町通りは大手門が一之橋口に移されてからの、大手筋にあたる。京橋までがかつての三ノ丸外曲輪で、あたりは水野土佐守などの武家屋敷街が続いていた。

市堀川にかかる京橋は、かつての和歌山城の玄関口として賑わった場所。ここを境にして、武家町と町人町とに分かれていた。橋の南には京橋御門が設けられ、門跡の碑が残っている。橋から川を見ると和歌山城寄りの方が地面が高くなっており、川岸に石垣も残るなどかつての城内側であったことを偲ばせる。北側にはかつて番所と火の見櫓が置かれ、人の出入りの警戒や城の守護にあたってていたという。

当時の市堀川はかつては川幅が36mほどあり、紀伊水道の海路とも繋がった物流の動脈。京橋の西側の荷上げ場は納屋河岸と呼ばれ、米や野菜・鮮魚・生活物資などが流通して賑わっていた。現在は橋の両側は広場になり、「鞠と殿様」が流れるからくり時計と、鞠のオブジェが配されている。

本町通りの沿道には、市の観光PRキャラの吉宗くんと和歌山城のイラストをあしらったフラッグが掲げられ、舗道も整備され歩きやすい。商業施設や銀行、ホテル、老舗の商店が並び、京橋の北側の紀陽銀行本店は昭和29年築の銀行建築。中央に4本の円柱が立ち、正面には和歌山県出身の彫刻家保田龍門氏による林業・漁業・柑橘・繊維の、和歌山県の主要産業を表すレリーフが配されている。