
紀州東照宮から和歌浦口バス停までは、バス通りである海岸通りの東側を南北に貫く、明光通商店街を歩いた。明治時代から続く和歌浦のメインストリートで、古くから和歌浦とその周辺の中心的な商店街として栄え、魚市場に近く鮮魚や海産物の品揃えが豊富だった。明光の由来は、聖武天皇が「若の浦」を「明光(あか)の浦」と呼んだことによるという。ゲートからすぐは、洋館建築の紀陽銀行や製菓、菓子、食品店など、現代的な店舗が並ぶが、やや登ったらタイムスリップしたようなレトロ商店街に一変。木造や千本格子、漆喰造の商家をそのまま店舗にしているところもあり、明治から昭和そのままの佇まいだ。
厨子二階に虫籠窓の書店では学習雑誌の幟がひるがえり、手書きの重版貼り紙も貼られている。薬や化粧品の行燈看板、ホーロー看板も現役で、松山容子のボンカレーの看板がイミテーションじゃないのが凄い。路地へ入るとかつて鮮魚店が多かった名残があり、活けの魚を捌いたりする様子も。慶時用の餅饅頭の看板も見られ、今では懐かしい習慣だ。奥寄りはレトロ書体の屋号の店舗が並び、洋品の山本屋、豆腐の豆腐萬など。やきとりとうなぎの看板を掲げ、排煙の煙突が目立つ平尾商店は、地元客の訪問が絶えない。食品の小売店が並んでいたミニ市場・明光マーケットは、あいにく閉店した模様。
かつてはアーケードもあり、今より開いていた店が多かったが、時代の流れに押されて消えかかっているのがちょっと悲しい。観光地として賑わった和歌浦の、往時を伝える佇まい、なんとか後世に継承されてほしいものだ。