
片男波海水浴場から和歌川河口の干潟に沿い、松林沿いの石組の海岸護岸の上を歩く。連続アーチのあしべ橋に並ぶ石橋の不老橋は、東照宮の祭礼「和歌祭」の時に、徳川家や東照宮関係の人々が通行した「お成り道」に架けられた橋。橋台のアーチ部分は肥後の石工が手がけており、美しい造形が目を引く。干潟の左手に浮かぶ小島「妹背山」は、周囲250m、高さ14mほど。県内最古の石橋「三断橋」で繋がっており、形は中国の杭州西湖に架かる六橋を模している。島内には徳川頼宣が母の養珠院を弔った海禅院多宝塔、紀三井寺を遥拝する水上楼閣の観海閣などがある。和歌浦を代表する景勝で、ここから干潟を一望する眺めも実に見事である。
和歌浦湾にはかつて小島がいくつも浮かんでいたが、現在は妹背山以外は陸地の山となっている。鹽竈神社はその一つ、結晶片岩でできた鏡山の南にある社。安産や子宝にご利益があり、地元での信仰も篤い。あしべ通りに面した鳥居を潜ると、狭い境内の奥に自然に作られた「輿の窟」と呼ばれた洞窟があり、中に拝殿が設けられ御神体の出生・生命を守護する神「鹽槌翁尊」が祀られている。岩肌にある「和合の松」は、樹齢200年以上の松が倒れたのちに残った根。地中で絡み合う姿が夫婦和合を象徴しており、手を当てて祈願すると子授けや安産にご利益があるという。
鏡山の岩肌に添いさらに先へ、隣接する玉津島神社は、和歌の神様である稚日女尊(わかひるめのみこと)を祀り、古くから歌人に信仰された社だ。鳥居の横には藤原卿が詠んだ万葉集の歌碑や、小野小町が参拝の時に着物の袖をかけたとされる赤い塀が残っている。社殿の背後には、かつての島で景勝地の奠供山を控えており、鳥居の向かいからは鏡山へと登る道もある。石段から、岩盤が露になった道を上り切ると、直下に並ぶあしべ橋と不老橋、そこから上に片男波公園の松林が、和歌川の河口へと続いている。左手下には今の和歌浦市街、干潟に浮かぶ妹背山、向かいに紀三井寺のある山肌、さらに海南市街、地ノ島と沖ノ島まで。和歌浦湾を一望できるパノラマである。