弁天池そばの東坂口から、徳島城の城郭を登ります。吉野川河口の中洲の渭山(いのやま・今の城山)に築かれた平山城の徳島城は、1585(天正13)年に豊臣秀吉の四国征伐で活躍した蜂須賀家政が整備。山頂からの尾根に曲輪が設けられ、石垣が当時の姿を伝えています。

二の丸は東西それぞれにあり、東二の丸にはかつて天守の役割だった、三階櫓が建ってました。城郭の石垣も阿波青石。本丸東石垣は青緑色の野面積みが野趣にあふれます。山頂の本丸には中央に御座敷と、御城山を管理する御留守番所、周囲には弓櫓、武具櫓、火縄櫓などを設置。祈祷所の清玄坊跡は築城時に立ち退かず清玄坊が暗殺されると、蜂須賀家に不幸が多発。後に供養した石碑が立ってます。標高61.7mの山頂からは、南には市街と眉山、北東には吉野川の河口方面。天然の地形で堅守の城でした。

下りは本丸の北側の虎口から、急な斜面を階段で直降します。さらに山腹を九十九に折れながら東側の園地へ、山麓沿いに見られる岩肌には海蝕崖の跡があり、縄文期の5〜6000年前に、海だったことを示します。4000年前の貝塚も見られ、貝層のほかに埋葬された人骨も出土しました。