水城通りを引き返し、玉藻公園へ向かいます。通りを挟んで時報櫓と月見櫓が向かい合い、月見櫓そばの水手御門は船で海に出る際に使われた門。フェリー乗り場は水城通りのすぐ向こう側で、かつては直接、瀬戸内海に接していました。内苑の石垣に沿って先へ。沿道の水路は海水がひかれ、海の小魚の姿も見られます。玉藻公園は高松藩主松平家の居城・高松城跡を整備した公園。「日本三大水城」とも呼ばれる臨海の城で、かつては城郭の北側は瀬戸内海に接し、三方の堀は水門から海水をとりこんでいた、まさに海と一体となった城郭です。「玉藻」とは、万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国を詠んだ枕詞のことです。

右手に二の丸跡を見ながら進み、内堀に掛かる鞘橋は、本丸への唯一の経路です。天守は高さ26.6m、三重四階地下一階で四国最大でした。かつて御殿があった本丸の先に建ち、天守の地下一階にある礎石は田の字型に配置されています。石垣の上部に登ると、鞘橋の向こうに二の丸、内堀の奥の水門から三の丸の内苑、奥には披雲閣の建物群と、城内を一望できます。内堀を遊覧する和船に集まってくるのは、鯉ではなく真鯛や黒鯛。高松駅へ目をやると、サンポートのビル群が近代的眺めです。堀端には高松琴平電鉄の高松築港駅もあり、発車した電車は城郭をぐるり半周して繁華街の瓦町、屋島方面を結んでいます。

二の丸へ戻り城内を奥へ。和船乗り場には鯛のエサの自販機が。後ろには堀の水位を調整する水門も見られます。三の丸の内苑の松林を抜けたところにある披雲閣は、大正6年築の松平十二代当主・頼壽伯爵別邸。江戸期に三の丸に建てられていた城主の御殿で、ここで藩政が行われていました。明治期に老朽化で解体された後、現在の松平頼壽伯爵別邸として再建されました。正面玄関を入ると、建物は書院造で和洋折衷。迎賓館としても使われました。桜御門跡の石垣を抜け内堀と中堀を渡り、桜の名所である桜の馬場へ。クレメントホテルが超近代的な天守のように見えます。旭門から艮櫓に見送られて、城外へ。