
水通町から鏡川へ、上町をさらに散策。鏡川の古い堤防のすぐ外にある日根野道場跡は、龍馬が剣術や武芸を習った、小栗流の道場です。この大堤は当時の住民が築いたもので、先の鏡川沿いには当時は武家の屋敷群「築屋敷」が並んでました。鏡川は龍馬が水泳の練習をしていた川で、今も名に相応の清流です。あたりには当時の武家屋敷はありませんが、石垣が雰囲気を出してます。我が国最初の沈下橋跡は、昭和2年に設置、中国・西湖にかかる橋がモデルとあります。
山内神社は山内一豊と妻、土佐藩山内家の歴代藩主を祀る神社。入口が東西両方にあり、境内を通過して参拝します。入るとすぐに山内容堂の像があり、徳川慶喜に大政奉還を勧めた人物として知られています。社殿は昭和45年に再建され、比較的新しい建物。東の神門から抜けると、本物そっくりの「亀石」も配されています。山内神社から電車通りへやや戻ったところには、山内家下屋敷長谷展示館があり、16代藩主山内豊範により完成した山内容堂の下屋敷の一部として残っています。下屋敷の警固番の足軽が詰めていたとされ、山内神社と北側周辺は、当時は山内家の邸でした。