
中心街のはりまや橋までは、駅前通りのはりまや通りを歩きます。沿道にはアンパンマンキャラクターの石像が、道中をほのぼの盛り上げてくれます。江の口川を高知橋で渡ると、対岸にヤシの木並木が。はりまや橋は繁華街が集中する交通の要衝で、石製の欄干が配されてます。橋は江戸期に藩の御用商人・播磨屋宗徳と櫃屋道清が行き来するため、資金を出して設けられました。堀川は当時は水運が盛んでしたが戦後埋め立てられ、以後ははりまや通りに欄干のみ設置されています。
はりまや通りを挟んで東西に設けた、水辺の公園のはりまや橋公園には、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」の歌碑が配され、明治期の橋を復元した鉄製の橋も。せせらぎ沿いに緑道が続きます。はりまや通りを横断する地下道には、かつてはりまや通りに配されていた木の朱の欄干が。よさこい節の歌碑には、竹林寺の僧・純信が恋人お馬にかんざしを贈る一節が記されています。「浦戸湾下町風俗絵巻」によると、あたりは船着場や米蔵、商店が集まっていたのが分かります。
地上へ出ると、江戸期のはりまや橋のミニチュアが。はりまや通りの石の欄干ほか、明治期の橋、この朱の橋、地下の欄干と、4世代の橋が界隈で見られる訳です。江戸期の橋のミニチュアを渡り、現在の橋と明治期の橋を見下ろして。橋のたもとの純信お馬のモニュメントは、「フクちゃん」の高知の漫画家・横山隆一作です。