
レストハウス向かいの元安橋は、爆心地そばだが落ちず、橋脚と明かりの点灯装置も残っている。この橋が爆風の通り道になり、中島本町の繁華街は全滅してしまった。元安橋を渡り、爆心直下の元安川の東側へ。島医院の前には「爆心地の碑」が見られ、原子爆弾は、この上空600メートルで爆発したことを示している。病院の洋館の建物は、柱と壁面と丸窓の一部のみ残し崩壊。当日地方にいた院長は急ぎ戻ったが、職員は全員死去。自身も広島で診療を続け、二次被爆で亡くなったという。
原爆ドームのすぐ東側の西蓮寺には、被爆前から寺にあった地蔵「被爆地蔵」を祀っている。台座には被爆レンガも配され、地蔵の影が焼きついている。地蔵は表面が熱で溶けており、欠けた部位も見られるなど、原爆に耐えた痕跡が見られる。
現在耐震工事で修復が進む原爆ドームから、相生橋の対岸も歩きましょう。