
弘道館は水戸藩第9代藩主・徳川斉昭公の手によって創設された、日本最大規模の藩校。儒学教育を礎に文武を磨く教育機関として、近世日本の教育に貢献した史跡とされる。学問・武芸から医学・薬学・天文学まで幅広い分野をカバー。江戸期の総合大学とまで言われた学府だった。重要文化財の正門は本瓦葺きの四脚門で、藩主が来館する際など正式の場合のみ開門した。通用門は入場券売り場になっていて、この先に正庁の建物がある。敷地には正庁、文館、武館、医学館ほか天文台もあったとか。
周囲は弘道館公園として整備され、孔子堂、鹿島神社、八卦堂がある。梅園も広がっていて、林と白壁越しに弘道館の屋根もチラリ。梅園は品種名を記し、面白い由縁のものも。孔子堂の屋根も土塀越しに見える。また弘道館を整備した際、三ノ丸の周囲に土塁と堀を設け、北側に復元されていた。遠くにはドーム型の洋風レトロ建築、水戸市水道低区排水塔も眺められる。
孔子堂は儒学の祖である孔子を祀ってあり、孔子廟本殿は非公開。その先の鹿島神社は弘道館の付属施設として設けられ、鹿島神宮から分霊された武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀る。かつては藩校の敷地の中心に位置していたのが、八卦堂。建学精神の象徴である弘道館記碑を納めている。ちなみに武甕槌命は武の神で、弘道館にあって文武両道を示した神社といえる。
片隅の神木鈴梅は斉昭公のお手植えで、紅白梅のうち白梅は鈴梅が咲く。社殿左手の梅林の奥には、クスノキの大樹がそびえ、そのたもとの「要石歌碑」は、斉昭公が儒教と神道を要とした教育方針が刻まれる。ここからも孔子堂の切妻屋根がチラリとのぞけた。
もう少し三ノ丸を見て、先へ行きましょう。