市街に徳川光圀像は多数ある中、一番有名なのが水戸駅北口の像。中央が黄門、左が助さん、右が格さん。その隣の葵の紋が入った提灯が下がる大きな櫓は、お休みどころ水府提灯。提灯の高さは120センチ、水府とはかつての水戸の地名で、水戸藩の奨励産業だった丈夫な「西ノ内和紙」を使った丈夫なものだ。水戸が日本三大提灯産業地に挙げられる所以である。

カラクリ時計つきの時計台を見て、ペデストリアンデッキを進むと、2014年からの整備事業で大手門とともに復元された二ノ丸隅櫓が、ビルの谷間にちらり。水戸城は平安時代末から鎌倉時代初めに、馬場資幹が現在の本丸付近に居館を構えたのが起源とされている。天正年間に城は拡大され、二の丸・三の丸が築かれる。徳川家康の11男・頼房が初代水戸藩主として居して以来、徳川御三家の居城に。本丸、二の丸、三の丸の、巨大な土塁と堀で形成され、石垣のない平山城としては国内最大だった。

この先歩くルートは、二ノ丸と三ノ丸をめぐり水戸の歴史や文化や藩の精神に触れられる「水戸学の道」になっている。義公生誕の地の案内に従い、義公祠堂とある小さな社へ。義公とは徳川光圀のことで、水戸藩初代藩主頼房の第3子として、この場所にあった重臣三木仁兵衛之次の屋敷で生まれた。4歳まで三木家で養育され、5歳で公子として水戸城に居住し、6歳の時に正式に世嗣として江戸の藩邸に移る。社は「水戸黄門神社」とも呼ばれ、管理は同じく徳川光圀を祀る常磐神社がしている。下がる絵馬は近所の美容室で制作、販売の「萌え絵馬」。黄門様の杖が納豆、印籠の紋が梅なのがローカルだ。

では、城内へ。