
遊覧船の後半はコース屈指の景勝・鐘島から。断層の弱いところを波が打って破壌した洞門が4つもあり、大波が打ち寄せると、まるで鐘を打ったように聞こえる事から鐘島と呼ばれている。松島屈指の造形で、津波でも穴が崩れたりすることなくそのままの姿をとどめている。鐘島付近から内松島に入り、このあたりにカキの養殖筏や養殖棚が見られる。「松島のカキは小粒で生食向き」と船内でもアナウンスが入る。
4つ並びの島は、左から注連縄や門松を焼いた火附島、横縞に見える岩肌が材木を積んだような材木島、モンド島、胴乱の形のドウラン島。ドウラン島は震災で斜め上半分が崩落してしまった。鎧島は曲線の小さな岩で、戦国武将の武具・鎧の肩掛け「かたびら」に似ているところから名がついた。在城島は伊達政宗が月見をしたと伝わり、見渡す限りの視界なので落城の憂い無しと、城があるかのような島から。鞍掛島は馬の鞍掛に似ているからと、武将武具にまつわる島が続く。
在城島のやや先には、左右に養殖施設が広がる。右手のノリ養殖は年間生産額が60億円で、左手のカキ筏は同30億円。カキ筏は湾内で流れのある「川」のあるところに設置しており、陸地からプランクトンがこの川を流れてきて、カキの栄養になるという。続く三島は造形が美しく、女性的な伊勢島となだらかな形が松島で最も女性的な小町島、松が生え近くに波形の岩がある兜島など、形から名前を覚えやすい。
恵比寿島・大黒島・布袋島・毘沙門島は、あたりがクロダイの好漁場だったため、めでたいことから。千貫島は松が一本だけの小岩で、伊達政宗公が湾内を遊覧した際に気にいり、館に運んだら千貫を与えるとの故事から。細長い島が鯨島、丸い形をした島が亀島の双子島を見て、松島桟橋へと到着する。
あたりは結構観光客で賑わっているので、密を避けてさらっと回りましょう。