讃衡蔵は中尊寺に伝わる文化財・宝物を永く後世に伝える宝物館で、奥州藤原氏の遺宝、仏像・経典・副葬品など、国宝・重要文化財3000点以上を収蔵。展示室では三体の丈六仏、金色堂の仏具や副葬品、中尊寺経などを公開している。金色堂の拝観券売り場ので、中尊寺の宝物館的な役割でもある。讃衡堂のやや先に、金色堂の碑とゆるい石段、覆堂が見える。ポスターや写真でよく目にするポイントで、ここに立てば中に入らなくても中尊寺に来た気分になれる。覆堂の中には、チラッと金色の何かが遠巻きに見えるようにも。

金色堂は1124(天治元)年の造立で、中尊寺創建当初の唯一の遺構。内部と外部を金箔で貼りつめ、内陣は金銀と螺鈿で装飾して埋め尽くしており、その様は極楽浄土を現生に表すとともに、奥州藤原氏の権力と財力の象徴とも言われる。本尊の阿弥陀如来は無量の光を放つ仏で、堂がその光を増幅し、悪魔を退散させるのだとか。中央の須弥壇の中には初代清衡公、左の壇に二代基衡公、右に三代秀衡公の遺体と、泰衡公の首級が収められている。

有料区域にはほか経蔵と、金色堂を以前覆っていた旧覆堂が、木々の中に建っている。旧覆堂は室町時代創建、昭和40年に現在の覆堂に移設されるまで500年、金色堂を風雪から守り続けた。現在の覆堂よりもこちらのほうが侘びていて、重みを感じる。この下で金箔がややはげた金色堂が、剥き出しで建っていた訳で、現在のガラスケースに囲まれて過保護な金色堂よりも趣があるような。松尾芭蕉もこの覆堂を見たとされ、前に銅像も立っている。

これで雨の平泉ミッション、なんとか終了。お疲れ様でした。