
墓所前を経て階段をやや下り、隊士自刃の絵を置いたミニ資料館を併設した土産物屋の先のデッキから、さざえ堂の上部や螺旋の階層がよく分かる。さざえ堂は江戸中期の仏堂で、高さ16.5メートル・6楼3層建ての、木造6角形の建物。唐破風の屋根をくぐると内部はらせん階段の構造で、同じところを通らずに見学ができる世界でも珍しい建物だ。もとは堂内に仏像が置かれ、入って一周するだけで三十三観音巡りができるようになっていた。
白虎隊とは無縁の建物かつ外観も奇妙で、横から見ると斜めの回廊や、平行四辺形のガラス窓が良く分かる。周辺には回して白虎隊士を供養する供養車、白虎隊19士の霊像を安置した宇賀神堂がある。みやげの売店も並び、市街や磐梯山を臨む無料の休憩所もある。あたりは白虎隊の墓所から降りてきた客と、戸ノ口堰から登ってきた客がそれぞれ休憩する広場となっている。
石段を降りたところの戸ノ口堰洞穴は、猪苗代湖の水を潅漑用に会津盆地へとひくため、飯盛山腹150メートルを貫いた用水である。薩長の西軍に追われた白虎隊2番隊が、戦況が悪化したため20人がここをくぐり、城の安全を確認に向かったという。断面がかなり狭くかなりの水量で、百メートルほどとはいえここをくぐり抜けてくるのは、かなり勇気がいることと思われる。
洞門前に構える厳島神社の周辺は、杉の大木が並び静かなたたずまい。付近は水音が激しく、澄んだ水は急流となって蛇行して流れていく。ここから流れ出た水は早い流れで、会津盆地へと流れ落ちている。
これで会津若松ミッションは完了、お疲れ様でした。