
飯盛山は市街地の東にある小高い山で、白虎隊の最期の地として知られている。石段を上った中腹には白虎隊士の墓が並び、自刃の場所からは当時と同じく市街と鶴ヶ城が遠望できる。白虎隊記念館やさざえ堂、宇賀神堂など見どころが豊富な、会津若松屈指の観光スポットである。
バス停で降り山麓に来たら、斜面に伸びる長く急な石段に、思わず怯んでしまう、記念館横の案内にあるように、階段からではなく逆回りが登りがゆるく楽で、この順だと資料館で概略を学び、戸ノ口堰から自刃の地、墓と時系列で見ることになる。が、まずは隊士の墓に参拝から進めたく、石段に挑むことに。
白虎隊は、会津藩士の子弟により編成された少年軍隊で、フランス式の訓練を受けていた。西軍の会津侵攻のため参戦したが、戸ノ口原の戦いに敗れて飯盛山に敗走。洞門をくぐり、山腹から黒煙に包まれた鶴ヶ城を見て、隊士20名が自刃した。手当の結果一命をとりとめた一人の隊士により、当時の行動が明らかになったといわれる。
石段は結構急で、有料のスロープコンベアも用意されているほど。登りきったところが墓所で、非常に小さい墓石に「享年16(17)」と刻まれた文字がもの悲しい。生存した飯沼氏の墓もあるが、そのため別扱いなのか19人とは別の離れた場所になっている。
左方向へ進み、石段を降りたところの高台が白虎隊自刃の地である。鶴ヶ城を遠望する白虎隊士の像があり、「この方向に鶴ヶ城が見えます」との案内板があるが、天守は小さく、手前の白赤のアンテナがちょうど天守に重なるので目印にするとわかりやすい。戸ノ口堰洞穴を出た20人がここへたどり着き、武家屋敷が大火災、城が黒煙をあげている様子を見たという。
では、戸ノ口堰洞穴の方も見てみましょう。