
長生橋通りから大手通にかけては、懐かしのホビー店、銘菓大手まんじゅうの店など、気になる店もちらほら。大手通りを渡り、市街の西寄りには「寺町」的なお寺が集積する一角がある。建物の造作が様々で、雪に強そうなコンクリート建築の長永寺や西入寺、銅葺きの大屋根の妙宗寺、浄土真宗でオリエンタルなモスクのような西福寺、境内が広い善行寺など。平和の森公園あたりの柿川は、園地が整備され自然のままの河岸が見られるなど、市街の中の緑地的眺めが落ち着く。
東へ向かい、空襲の起点となったポイントを示す碑がある互尊文庫を経て、山本五十六の生家跡へ。連合艦隊司令官としての軍人のイメージが強いが、軍人というよりも学者肌で、海外視察などで世界的な視野を持っていたという。なので海軍軍縮条約に尽力し、開戦や三国同盟には反対の姿勢など、戦いよりも国の安全を望んでおり、その意に反して連合艦隊司令長官になりつつも、早期講和を望んでいたという。あたりは山本記念公園となっており、銅像ほか復元された生家が建つ。二階の勉強部屋から、そんな氏の足跡や戦争への思いを偲びつつ、園内を見下ろしてみる。
山本五十六と河井継之助の資料館は、1630を過ぎて入れなかったので、撮影はこれでおしまい。あとは「食」の撮れ高に期待しよう。