
駅から南に数分歩くと、柿川という小川に出くわした。流れに沿って遊歩道が整備され、親水護岸や東屋も設けられているなど、ちょっとした水とのふれあいの場となっている。市街の西部を巻くようにゆく流路から、かつては信濃川の水運に利用されてきた河川でもある。
当時の長岡藩は、西廻り航路の寄港地である新潟も治めており、上流の十日町や六日町からの米などの荷を、ここで大型の船に積み替えて新潟へと運んでいた。柿川の流路には6つの河戸(荷揚げ場)が設置され、ここを通過する際の水運権の収入はかなりのものだったという。川と並行する柿川通りの近くには繁華街の殿町が広がり、川に沿って料亭もいくつか見られるなど、今もなお水運の恩恵であたりが栄えたことが伺える。
現在の柿川は、流れに沿った遊歩道が整備され、親水護岸や東屋も設けられているなど、ちょっとした水とのふれあいの場となっている。殿町稲荷神社には鳥居の奉納があり、都橋の先には桜や紅葉や柿の木などの季節感にあふれるなど、市街散策の注目のエリアである。
都橋の先にある平潟神社には、長岡大空襲で犠牲になった人の慰霊塔が立つ。市街中心の互尊文庫のそばに、空襲の起点となったポイントを示す碑があり、かなりの被害だったとか。被災者は柿川に逃げたがここも火に晒されたことから、夏には慰霊の灯籠流しが行われるという。ちょうと風鈴祭りをやっていて、社務所前に下がるたくさんの風鈴が、涼しげな音を出している。
さらに、市街の北寄りを目指しましょう。