
新世界から一仕事してから移動、やってきたのは大和八木駅。かの伝建築最寄りの町で一泊、まだ15時前と陽が高いから、今日のうちに歩いてしまいましょう。
駅を出て近鉄橿原線沿いの商店街を南へ進み、八木西口駅へと右折。JR桜井線のガードをくぐったところで、飛鳥川沿いに出る。「今井・寺内町」の案内板を見て赤い欄干の蘇武橋を渡り、高さ約15m・樹齢推定420年の榎の木に迎えられて、今井町へと入る。ここはちょうど東端の通りにあたり、まずは街の全貌をつかむべく街並み交流センター「華甍」へと向かった。道中に見られる歯医者、タバコ屋、仏具屋に理髪店に整骨院などの商店は、いずれも当時の町屋を使っており、玄関口からして景観の保持が徹底している。
夢甍の昭和4年から今井町役場に使われていた建物で、大和調の洋風建築らしい重厚さがある。入って右の展示室には、明治10年の今井町の復元模型があり、周囲を環濠で囲まれ門からしか出入りできなかった、待ちの造りがわかる。今井町の核となる寺の称念寺、西側の今西家から続く本町筋の街並みも観察でき、これから歩く町並みが俯瞰して理解できた。
パネル展示によると、今井町は14世紀に奈良興福寺の荘園として形成され、室町後期に一向宗の道場ができ発展。江戸期は天領下の自治都市として、独自の制度で町政を行なっていたとあった。それを可能にしたのが、町の商人の財力。繰綿(精製前の綿)・古手(古着)・木綿を扱う豪商が存在し、独自の通貨の流通や両替商など、経済の面でも強い力を持っていた。これらを基盤にしたいわば城塞都市的なつくりにより、町並みが守られてきたといえる。
東西約600m、南北約310m、面積にして17.4haの地区内には、全建物戸数約760戸のうち、約500件が伝統的建造物に指定されている。ではさっそく、町家と通りを巡っていきましょう。