華々しい新世界にも、おさんぽ向きのちょっとした史跡がある。通天閣のたもとの「残念石」なる石は、小豆島から運ばれて大阪城の石垣になるはずだった石とある。残念石との名は、石切の技術が未熟で出来が悪く石垣にならなかったからで、市街のあちこちで見かけられるという。ここの看板には、ちゃんと大阪にもどってこれたとも。

残念石がある前あたりは、かつての通天閣があった場所でもある。もとは明治45年、第5回内国勧業博覧会の跡地の西半分に建てられた遊園地「ルナパーク」の建造物だった。エッフェル塔を模した鉄塔が、凱旋門を模した建物から建っていたというパリテイストな建造物で、昭和18年に火災で焼失ののちに、現在の場所に建てられた。跡地には特に碑などはないが、現通天閣の塔の下の天井画は、当時のものを復元したものである。花園に遊ぶクジャクの絵に、当時の華やかさが伝わってくる。

塔の直下にある王将の碑は、堺生まれの棋士・坂田三吉を顕彰して建てられた。村田英雄の同名の歌の歌詞にも出てきており、棋譜は東京築地倶楽部で関根八段との対局時の、4・五歩で投了した際のものだ。坂田の銀が関根に封じられた際の、「あの銀はわいなんや、わいが銀になって泣いている」との、打倒関根の思いを表した名台詞も残っている。

このあたりはまあ知られた史跡だが、いわば隠れた史跡がスパワールドへ登る階段の左脇、草が茂る空き地にある。大阪国技館の跡の碑で、かつて大阪の本場所用に設けられていた。碑にある写真は丸いドーム屋根が、かつての両国国技館そっくりだが、近くにいた警備員さんが「これは戦後、別の場所に作られた国技館の写真。間違って掲載されてある」と教えてくれた。ここにあったものは、昭和20年の大阪大空襲で焼失し、資料があまり残っていないという。

まだまだ人通りが少ないので、少し休憩しましょう。