観光客に向けて地の素材を用いたご当地料理の、代表的なのがラーメン。ただし地の魚介を使うラーメンは、麺料理としてはどうしても「際物」になりがちだ。そのままのせると見た目のインパクトはありながら、殻やヒレやヒゲが麺に絡んで食べづらい。むいたり外したりすると手がベトベトになり、その時間で麺がのびる。スープに魚介ダシが出る一方、身の方がダシガラになる。旅のハレの食はまずは見た目とストーリーなのだろうが、味の印象も旅先の評価につながることも、考慮すべきことではなかろうか。

宍道湖に面した松江で、地の魚介を使った料理といえば、シジミがもっとも定番である。街を歩いていても、料理屋の店頭にその名が踊り、宿でも汁物のタネはシジミをおいて他にないほど。派手さはないが広い認知度、さらに体に良いとくれば、よそから来た人にとっても味と効能から、土地の食としてありがたみが強いのもうなづける。そしてもちろん、「シジミラーメン」の文字も。松江駅前から延びる新大橋通りに並ぶラーメン屋の中から、「トタン屋」を選んで暖簾をくぐる。

シジミラーメンを出すからには、ある程度観光客を意識した店かと思いきや、狭い店内は町中華にしても煤け過ぎというぐらいの味がある。ビールを頼んでまずは餃子から、焼かずにゆでるのが此処流とあり、薄い皮からニラがたくさん透けて見える。ツルリといけばニラの香りがかなり刺激的で、ザクザク、プンとパンチが効いている。続いてのシジミラーメンは、入れ替わりやってくる酔客が皆頼んでいる定番の品らしく、地元の普段使いのレベルに対し期待が持てる。

運ばれてきた丼は、まず見た目からして観光ラーメンと異なる。澄んだスープのラーメンに、具のシジミが小さなザルに盛ったまま載せてあり、「映え」とは対極にある無骨なフォルムだ。ご主人に聞くと、シジミは丼に入れて混ぜずに、そのまま別に食べてくださいとのこと。麺に混ざると殻にからんで食べにくいからね、と、配慮がされているのが嬉しい。シジミからいくと、身が小さいのに膨れてパツパツに丸い。ふっくら柔らかく、一粒一粒からあの滋味がじわり染みてくるようだ。

ざる盛りなのは食べにくさに対してだけでなく、ダシガラにならない配慮でもある。おかげでシジミの味が抜けず、楊枝でほじりながら最後の一粒まで堪能できた。ざるに残った殻の山を見ると、値段の割に結構な量だ。シジミの後でラーメンにかかるが、中太で加水多めの麺なのでギリギリのびていない。スープはややぬるむが、その方が塩ダレとシジミの出汁が、熱々より香りと味が立ち上がる。あれだけの量のシジミからのエキスが溶け込んでおり、胃に、肝臓に染みるとあれば、一滴残らずきれいに飲み干した。

昨夜は別の街で深酒してしまい、まる一日酒が残った後でのこのラーメン。生半可な二日酔い薬より効き目あらたかなようで、スッキリした気分で店を後にした。ご当地名物を看板にしながら、素材の味を生かすことに拘った食べ方。街角のラーメン屋で見つけたさりげない味が印象に強く残る、松江のローカルラーメンである。