朝日カルチャー「おさんぽ案内人と歩く・学んで歩く江戸の町」新橋〜銀座編は、総勢9名で開催。かつて設けられていた水路の跡をたどりながら、江戸の街づくりを学びながら散策した。

前半はスタートの新橋から、東京高速道路がある汐留川跡、そこに架かる新橋跡を経て、カレッタ汐留の46階展望室から水路跡を俯瞰。いま川として残るのは、浜離宮のまわりの築地川と汐留川の河口部数百mのみで、ほかは戦後の瓦礫処理と東京オリンピック時の都市交通整備の名目で、埋められてしまった。上から街を見下ろすと、いくらか今も残っていたら東京も魅力ある「水都」だったのではと、ちょっと残念に思う。

中盤の築地場外市場と築地本願寺は、四方を築地川の本流と支川が流れ、かつては堀に囲まれたような場所だった。卸売市場跡と場外市場の境界に東支川、築地本願寺の東寄りに南支川の跡が見られ、小田原橋や海幸橋などのゆかりの地名が残る。また場外市場はかつては築地本願寺門前の寺町で、気にして歩くと市場の中に寺がちらほら残っている。買い物目線だと気づかない、街の成り立ちの痕跡である。

首都高環状線になっている築地川本流、三原橋付近の区画に流れを彷彿させる三十間川跡を渡り、数寄屋橋交差点を渡りながら外堀の跡を想像したら、有楽町駅前の「南町奉行所跡」へ。待ち合わせスポットの一角に碑と石垣跡がひっそりとあり、ここに大岡忠相が裁きをしていた白洲があったとは。同じく「銀座発祥の地」碑も、中央通りのティファニー前にひっそりと立っている。銀貨の製造役場が置かれ地名の所以だった地だが、ここも気付く人は少ないよう。

最後は江戸の物流で重要だった京橋川跡と、明治期と大正期の親柱が残る京橋跡を見て、この日はここまで。