このたびの仙台近郊の被災地訪問は、仕事ではなくかつて仙台在住だった友人に同行してのことだった。思い出がさまざまある地だけに、これまで足を向けるのがためらわれていたとのことで、今日は縁あった地に立っては無事に安堵し、更地に呆然とし、の繰り返しの行となった。

閖上ではよく訪れたという、日和山そばの「見晴寿司」に行ってみたが、建物の痕跡はなくご主人も亡くなられたとのことだった。調べたらそこで修業していた方が、仙台市街で同屋号の店を出しているとあり、締めくくりに一番丁の「閖上見晴寿司」で夕食をとった。石巻へ向かう途中で蔵元を通ったので、締めの一献は浦霞で。

縁あって、これで岩手と宮城の主だった津波被災地は、ほぼ訪れることができた。自身の中にとどめ、折々で自身の言葉で伝承していくことが、同時期に生きた者の縁であり責務と捉えていきたい。つくづくそう胸に刻まれる、仙台の夜である。