列車が出てしまうと、須崎駅の広い構内はしんと静まり返ってしまった。ホームからは線路に面して、アンパンマンのキャラクター風イラストが描かれた大きな看板が目に入る。アンパンマンの作者であるやなせたかし氏は高知の出身で、四国の様々なイメージキャラクターを描いており、乗ってきた列車もアンパンマンのイラストだらけだった。看板の孫悟空風「なべらーまん」はどうやら、須崎名物の鍋焼きラーメンのイメージキャラクターらしい。駅前から商店街を歩いていると、沿道にも「なべらーまん」のイラスト入り幟がちらほら見られる。

 須崎は高知から中村方面へ特急列車で40分ほど。土佐湾に面した港町で、御当地ラーメンによる町起こしに力をいれている。ラーメンといっても、ここのは一風変わったスタイル。「鍋焼きラーメン」の名の通り、土鍋で炊き込んだラーメンなのだ。もとは戦後間もない頃にこの地に開業した「谷口食堂」の人気メニューで、昭和30年代には町中に広まり、須崎の郷土の味として定着したという。その後ルーツである谷口食堂は閉店したが、当時の味を懐かしむ人たちによって鍋焼きラーメンは再興。現在では出す店が40軒を数えるほどになり、商工会議所では全国へのPRのためにプロジェクトチームも作られるなど、今や四国ではもちろん、旅行者やラーメン通にも知られる存在になったのである。

 うわさを聞いて、四万十川方面へ向かう際に昼ご飯を食べに途中下車したのだが、この日は梅雨の谷間のかんかん照り。南国の強い日射しに加えて湿度もすごく、こんな日に鍋焼きラーメンを食べたら汗だく必至だ。幟を目印に商店街の店を物色してみたが、ラーメン屋だけでなく、駅前食堂や古い定食屋、寿司割烹、中華料理店など業種は様々、しかもどこも地元客向けの店のよう。常連で満席だったり、逆に客が全くいなかったりと、よそ者は入るのに少々躊躇してしまう。

 木曜朝市が終わったばかりの大通りまで歩いたところで、暑さに負けて飛び込んだ店は「喫茶&レストランがろー」。中は喫茶店風で、店名の通り中島潔やラッセンの絵が飾られている。どうも鍋焼きラーメンを食べるイメージではないが、メニューにはちゃんと「鍋焼き中華」の文字が。他の客が冷やし中華やざるそばを食べる中、鍋焼き中華と空腹なのでライス中を注文した。「こんな暑い日に?」と店のおばちゃんが驚いた様子だ。ここは昭和51年から営業しており、この西岡八重子さんがひとりで切り盛りしている。食べ歩きマップの紹介記事では「麺類専門の喫茶店」という不思議な店だが、食材をたっぷり使った鍋焼きラーメンは25年以上作り続けられている自慢の味とある。 

 須崎の鍋焼きラーメンは定義があり、スープは親鳥の鶏ガラの醤油ベースで濃い目のあっさり味、具は親鳥の肉にネギと生卵にちくわが必須。戦後の食料の少ない頃、ネギや玉子、ちくわなど、須崎周辺で手に入りやすい食材に加え、鳥屋から分けてもらった肉や鶏ガラを使って作られていた名残りである。スープは沸騰した状態で提供するのも流儀で、「熱いからね」と運ばれてきた土鍋のふたを開けると湯気がバッ、中は泡を吹いてグツグツ煮えている。かつては町に多かった木材加工場から出たおがくずなどでスープを炊き、出前の際に冷めないようにホーローの鍋を使ったのが、鍋焼きスタイルのルーツなのだ。やけどしないように気をつけながらスープをひとくちすすってみると、鶏の味ががっちりと濃厚。たっぷりの良質の脂で口の中やくちびるがぬるりとするほどで、これがキャベツや青ネギの甘みでさっぱりするから不思議だ。おばちゃんによると、調味料はあまり入れず、一定時間煮込んで鶏だけで味を出しているとのこと。そしてゴロゴロ入った鶏肉はギシギシと堅いが、かむほどにいい味が出てくる。ラーメンというよりは鶏鍋のようで、つい具とスープばかり食べてしまう。

 煮立っている熱さがやや落ち着いたところで、卵がたっぷり入った黄色い麺をたぐってみる。細麺のストレートで、しっかりとした腰とパキパキした歯ごたえがあり、やや固いぐらい。あれだけ煮込んでものびることなく、スープのからみもいいのですすってからご飯をかき込むと実にうまい。やや口の中が重くなったら、小皿で添えられた古漬けをひと切れつまむ。これも鍋焼きラーメンの基本で、キンキンに酸っぱいから味覚が変わってさっぱりする。麺をあらかた食べてからふと思いつき、卵と鶏肉、ネギが少し残ったスープにご飯の残りを入れるとこれが正解! 極上のラーメンライス・親子雑炊のできあがりだ。

 土鍋のおかげで最後まで熱々、3回ほど口の中をやけどしながら食べ終えた頃には、シャツがすっかり汗びっしょりになってしまった。まるで鍋料理をひとりで食べた感じで、扇風機をつけながら笑うおばちゃんにアイスコーヒーを追加、しばらく涼んでいくことにした。しかしこの後、さらに驚きのもうひとつの「鍋焼き」に遭遇することに…。以下次号。(2005年6月16日食記)