以前、我が家に子どもが授かったとき、人形町の水天宮へ夫婦で安産祈願をしに出かけたことがあった。お昼には鳥料理の老舗の「玉ひで」で名物の親子丼を頂こうとしたのだが、長い行列にあきらめてしまった。いずれ食べにいきたいと思っているうちに子どもも大きくなり、今度は家族で行列に並んでみるか、ということに。まずは行列の様子見を兼ねて、下町情緒の残る人形町界隈をひとりで散歩をしに出かけた。

 地下鉄の人形町駅で下車したら、まずは水天宮でお礼参りをして、名物の人形焼きの店や漬物屋などを散策しながら時間をつぶす。「玉ひで」の昼の営業が始まる11時半に合わせて店へ向かうとすでに遅し。玄関から右隣の店の前まで延びた行列は、一旦そこで折り返して玄関の前に戻り、さらに店の壁に沿って右へ向かって続いていた。ざっと数えて、50人ぐらいは並んでいるだろうか。

 かつて訪れたときは親子丼をあきらめたかわりに、向かいのビルにあったインド料理屋で、鳥は鳥でもチキンカレーで昼食としたのを思い出したが、今日は列の最後尾について、腰を据えて待つことに。あたりには「創業宝暦10年」と書かれた暖簾や、「しゃもなべ」の文字が書かれた行燈といった歴史のあるたたずまいとともに、「ここで列はUターンしてください」「親子丼は11時~1時まで」と、親子丼の人気を示す案内看板も立っている。

 この「玉ひで」は江戸時代から続くしゃも鍋の老舗で、親子丼は明治時代半ばから出しているという。しゃも鍋に残った割下を卵でとじて、丼飯にのせたものが原型で、人形町界隈で働く商人たちにとって、簡単に食べられるため好評だった。シンプルな料理だが、厳選した醤油と味醂を使った割下で「東京しゃも」を煮込んでいるから、味の良さは折り紙つき。今や、ランチタイム限定の親子丼目当ての行列は、人形町の風物詩のひとつだ。箸袋の能書きによると、「五代目の妻である、山田とくの発案による」とある。鍋に残ったダシが出たつゆで丼を作り上げるとは、女将さんは倹約家である一方、料理人としても柔軟な感性の持ち主のようだ。

 並びはじめてからおよそ1時間で座敷に座り、「元祖親子丼」を注文した。飯の上には卵と鶏肉のみで、朱塗りの器はひと箸でこれらをとるのにちょうどよい深さだ。口に運ぶと半熟の卵がトロリと甘く、鶏肉はキシッとした歯ごたえ。後から辛めの割下がじわりと染みてくる。鶏肉はやや固めでジューシーな旨みに乏しいが、鳥独特の味と香りが強い。それを包む卵が、固まらず生でもなく絶妙な火加減。親子だけあり、両方が渾然一体となった味わいだ。

 丼物はやはりかっこむのが一番、と、ガシガシと勢いよく頂いたらあっという間にごちそうさま。1時間ほど並んだのに、食べ終わるまでは10分とかからない。店を後に、今度はぜひ、名物の親子丼を家族で頂きたいなと思いながら、みやげの人形焼きの袋を片手に駅へと向かう。でも行列一番乗りを目指すならば、11時ぐらいから並び始めなければ…。