ニューヨーク点描 第12章 ~グランド・ゼロの世紀を生きる~ | ごんたのつれづれ旅日記

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国連本部の勇姿を目の当たりにしたあと、人気が無く閑散とした43th St、別名U.N.St.をぶらぶら歩きながら、通りかかったタクシーに手を上げた。
通りには冷たい風が吹きすさんで、落ち葉が渦を巻いて舞っていた。。

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白人のタクシー運転手さんに告げた行き先は、

「Ground Zero,please」

世界平和の構築に日々邁進している組織の象徴を見学した次に、今度は、全く対照的な意味合いを持つ場所に行こうというのだ。

グラウンド・ゼロ──言うまでもなく、世界貿易センター(World Trade Center)の跡地の名称である。

1度も対外戦争の戦場になったことがなかったというアメリカ本土の、もっとも繁栄した大都会のど真ん中に、突如として出現した悲劇の戦跡は、マンハッタン島の南西、Liberty St.とVesey St.の間にある。

陽気に早口で色々と話しかけてくる髭面の運転手さんの言葉が聞き取れずに、「Yes」「Yeah,I know」などと生返事を返すしかない僕らを乗せて、タクシーは1st Ave.を南下していく。
East Broadwayに右折して斜めに南西へ向かい、色とりどりの建物が並ぶ賑やかなチャイナ・タウンを抜けてロウアー・マンハッタンに入った。

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City Hallの脇を通り、南北方向に伸びるBroadwayに合流してすぐに、セント・ポール教会が右手に現れる。
Fulton St.に右折すると、いきなり、前方を横切るChurch St.で、人と車の密度が飛躍的に増大した。

ロウアー・マンハッタンでは、南北に走っていてもAvenueではなくStreetと呼ばれている通りが幾つか見受けられるが、Church St.は、どの繁華街でも見たことがないほどの混雑ぶりだった。
車同士がすれ違うのがやっと、というような狭い道路に、ぎっしりと人が溢れかえり、遅々として動かない車の列から、苛立たしげなクラクションがひっきりなしに鳴り響いている。

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運転手さんが振り返って、何事かを僕らに喋り出した。
ここでいいのか? とも、またはこれ以上先に行くのか? とも言っているように聞こえたので、

「Yeah,we'll walk.Thank you very much」

と支払いを済ませた。
20ドル札1枚で、充分にチップも含まれる程度の料金だった。

タクシーを降りると、正面の、人と車でごった返しているChurch St.の向こうは、ぽっかりと穴があいたように開けている。
ニューヨークで初めて見る広大な隙間のような空間は、どこかしら異様だった。

ここに、かつて世界一の高さを誇った、ニューヨーク、いやアメリカの繁栄の象徴ともいうべき、高さ417メートル、110階建ての超高層ツインタワービルが建っていたのだ。

日系アメリカ人ミノル・ヤマザキ氏が設計した流麗で美しいフォルムを誇る、文字通りニューヨークのランドマークだった。
複合ビルとして、1WTCから7WTCまで7棟のビルで構成され、ツインタワーは1WTCと2WTCと呼ばれていた。

2001年9月11日までは──

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2001年9月11日朝、ボストン、ワシントン、ニューアークの各空港を離陸した4機の旅客機が、アラブ系のグループによって、ほぼ同時にハイジャックされた。

ハイジャッカーは操縦室に侵入して自ら操縦し、アメリカン航空11便、ユナイテッド航空175便をニューヨークへ、アメリカン航空77便、ユナイテッド航空93便をワシントンD.C.へ向かわせた。

乗っ取られた4機のうち2機がボーイング社製のボーイング767型機で、残りの2機がボーイング757型機であった。
この2種類の機体の操縦システムは基本的に同じであり、いずれも2人で操縦できるため、意図的にその機体が投入されている便が選択されハイジャックされたと考えられている。
また、これら4機は、いずれも北米大陸横断ルートという、アメリカ国内線の中でも長距離を飛行する便で、燃料積載量が多く、ハイジャッカーは衝突後の延焼規模を大きくすることを狙ったとも推測されている。
ハイジャックされて激突・墜落させられた旅客機の乗客・乗員は、ハイジャック犯を含めて、いずれも全員死亡した。

ボストン・ローガン国際空港発ロサンゼルス国際空港行きアメリカン航空11便(ボーイング767-200型機)は、乗客81名・乗員11名を乗せて、午前7時54分にローガン空港を出発。
午前8時14分頃にハイジャックされ、午前8時23分に進路を南向きに変え、午前8時46分にニューヨーク世界貿易センター・ツインタワー北棟(110階建て)に突入、爆発炎上した。
機は水平かつ高速で建造物に衝突し、離着陸時の事故と違い機体の残骸はほとんど原形をとどめなかった。
アメリカン航空11便衝突の瞬間を、フランスのテレビ局から取材に来ていたカメラマンが、偶然、撮影していた。

同じく、ボストン・ローガン国際空港発ロサンゼルス国際空港行きユナイテッド航空175便(ボーイング767-200)は、乗客56名・乗員9名を乗せて、午前8時14分に出発した。
午前8時43分頃にハイジャックされ、直後にアメリカン航空11便を追うようにニューヨークへ進路を変更、午前9時3分に世界貿易センタービルのツインタワー南棟(110階建)に突入し、爆発炎上した。
アメリカン航空11便と違い、強引な左旋回中に大きく傾きながら衝突したため、多くの階を巻き込み、一瞬にして多くの死亡・負傷者を出したという。
その衝撃の強さが、先に衝突した北棟より早く、南棟が崩壊した原因となった。



ツインタワー北棟へのアメリカン航空11便の突入で、多くの報道陣と見物人が集まっていたため、ユナイテッド航空175便の南棟への突入では数多くの映像と写真が記録されている。
また、105階にいたエーオン副社長のケヴィン・コスグローヴ氏が、南棟が崩壊する最後の瞬間まで911番へ電話で状況を伝えており、轟音とともに、

「Oh, God! Oh……」

という絶叫を最後に会話が途切れるまでの生々しいやり取りが録音された。

WTCツインタワーの北棟に、アメリカン航空11便が突入して爆発炎上した時点では、多くのメディアがテロ行為ではなく単なる航空機事故として報じていた。
しかし、南棟へのユナイテッド航空175便の突入は、世界各国に最初の衝突が臨時ニュースとして国際中継されている最中に起きたため、前代未聞の衝撃的な映像がリアルタイムで流され、事故ではなく故意に起こされた事件であることが認識された。

WTCツインタワーは、建設当時のジェット旅客機ボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていたはずであったが、それは衝突のダメージのみを換算されていたものであり、ジェット燃料による火災のダメージは想定されていなかった。
高速で突入したボーイング767によって、ビル上部は激しく損傷し、漏れ出したジェット燃料は、エレベーターシャフトを通して下層階にまで達し、爆発的火災が発生した。
火災の熱による鉄骨の破断でビルは強度を失い、9時59分に、南棟が突入を受けた上部から砕けるように崩壊した。
北棟も、10時28分に南棟と同様に崩壊した。

人的被害はWTC北棟で大きく、死者は約1,700人(救護活動中の消防士を含む)であった。
突撃を受けた92階以上に被害が多く、この階以上の在館者全員が死亡したと言われている。
航空機に突入されたフロアの階段が大きく破壊され、避難経路が遮断されたためであった。

WTC南棟も同様に激しく炎上したが、こちらは旅客機が外側に少し反れて激突し、反対側の階段が損壊や延焼を免れたため、突入フロア以上でも延焼の少なかった部分にいた十数名は無事避難することができたという。
突入前の避難者も含めると約7割の人が生還している。
ただし、炎上部より上にいた人の一部が、煙による苦痛や絶望感から飛び降り、消防士や避難者の一部が、落下してきた人の巻き添えになり命を落とした。
また崩壊時の破片や煙により、ビルの外でも数人が命を落としている。
一方、タワー崩壊後も館内で奇跡的に生き残っていた人も数名おり、それらの人々は当日夕方に救助された。

北棟および南棟の崩落に巻き込まれて、敷地内の他のWTC3~6号棟も崩落・炎上し、8時間後に敷地北隣の高層ビル・WTC7号棟も崩落して姿を消した。
周辺の道路は完全に封鎖され、地下鉄もトンネルの崩落で走行不能に陥った。

合計で2749人が死亡するという、世界の中心都市を突如見舞った白昼の大惨事だったのである。

僕は、2機目の突入の寸前からテレビで中継を見ていた。

何が起きたのか、全く訳がわからないまま、視線が画面に釘付けになった。
2機目が大きく傾きながら突入し、ビルの中に吸い込まれるように姿を消して黒煙とともに炎が上がった時は、ガタガタと身が震えた。

中継中だった女性アナウンサーの、

「Oh my God!──Oh my God……」

という金切り声、いや、哀しみに満ちたため息のようにも聞こえた叫び声は、今でもはっきり耳の奥に残っている。

今、途轍もない、大変な出来事が起きている!───地球の裏側の出来事とわかっていながら、我が身に降りかかってきた災厄のように、恐怖に苛まれる心持ちだった。

それは、確信にも似た、動物的な予感だったのだと思う。

ソ連崩壊で冷戦が終了したこともあって、素晴らしい未来を夢見ていた21世紀は、その最初の年のこの日から、再び戦争の世紀に変じてしまった。
民族や宗教の違いから生じる対立が、いとも簡単に一般市民を巻き込むテロを誘発し、国家が報復のために戦争に突入していく。

テレビで、顔を真っ赤にしたジョージ・W・ブッシュ大統領が、

「This is a War!」

と叫んでいたことを、印象深く覚えている。
うろたえ、衝撃を受けた超大国は、とち狂ったかのように、泥沼のような戦争に足を踏み入れていった。
あれだけの被害を受けたのだから冷静になれないのも無理はないことと思うけれど、アメリカの国家としてのその後の行動は、アメリカ憎しのあまりに911テロを起こしたアラブのグループと、何ら変わりはないように思えた。

憎しみが憎しみを呼び、報復として市民を標的にするテロが繰り返され……

僕らは、ニューヨークで起きた911テロが変えてしまった歴史の真っ只中を生きている。

今も、世界のどこかで、アメリカはテロリスト撲滅の旗を掲げながら、軍事行動を行っている。

日本人の僕らだって、アメリカと同じ側に立つ国の国民として、テロリズムの犠牲になる可能性すらあるのだ。

21世紀の行く末を変えた悲劇の場所を、ニューヨークに来た時には、必ず自分の目で見てみたかった。

「グラウンド・ゼロ」とは「爆心地」という意味である。
そこは、ニューヨークやアメリカのみならず、世界の歴史を沸騰させた爆心地だった。

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WTCツインタワーの跡地は、「National 9.11 Memorial」と呼ばれ、水が流れ落ちる巨大なプールのモニュメントとなっている。
タクシーを降りた時には思ったより狭く思えた空間だったが、実際にモニュメントを目の当たりにすれば、その巨大さにやはり圧倒される。

しかし、視線を周辺に転じれば、9.11テロの直後に繰り返し報道された時に感じた悲しい鎮魂の雰囲気は、かけらもなくなっていた。
実際には、クレーンが林立し縦横に足場が組まれ、騒々しく雑然とした建設現場としか思えない。

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WTCの跡地については、遺族から慰霊の場としてほしいという意見もあったという。
しかし多くのオフィスビルを失ったことで、ニューヨークから企業が流出することを恐れた市当局や、跡地を所有してきたニューヨーク・ニュージャージー港湾局は、金融街に近く、ビジネス街の一等地であるこの場所に新たなオフィスビル・商業施設と交通ターミナルの再建を希望した。

2004年7月、WTCビル跡地に再びビルを建設するための起工式が行われた。
敷地内には旧南棟・北棟跡の祈念スペースを囲むように数本の超高層ビルが建設中であり、最も高いビルは「Freedom Tower」と名付けられ、2009年に「One World Trade Center」と名称が変更されている。
アメリカが独立した1776年にちなんで、1776フィート(約541メートル)の高さとなり、2013年に完成予定である。
周囲にはタワー2、タワー3、タワー4、タワー5が建つ予定で、タワー4は日本人の槇文彦氏の設計だという。

上へ上へと伸びている真っ最中に見える「One World Trade Center」は、旧WTCツインタワーに比べれば重々しさがなく、ひたすらスマートで明るい装いだった。
どこか軽躁なたたずまいにも見える新WTCは、ニューヨーク市民の悲しみを払拭しようという気持ちの表れなのだろうか?

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崩壊後のWTCビルの残骸には、行方不明とされている相当数の遺体が含まれているはずだった。
遺族は残骸の取り扱いに非常に神経を尖らせたため、なかなか廃棄することができず、長いこと、ごみ処分場に大量に放置されている状態であったという。
しかし、2005年3月、当局はおよそ1100人分の身元が判明できないまま確認作業を中止すると発表した。
鉄骨類は屑鉄として再利用のため、インドへと輸出されたと聞く。

人混みをかき分けるようにChurch St.を歩くと、閉鎖された地下鉄駅入口が目に入った。
地下鉄R系統とN系統のCortland駅である。

無造作にビニール紐で閉じられている入口には、「No trains at this station」と書かれた掲示板が貼られ、「R」系統(クイーンズ大通り-ブロードウェイ-4番街線・各駅停車)、「N」系統(アストリア-ブロードウェイ-海岸線・急行)のそれぞれの駅に対応する「4」系統(ジェローム街-レキシントン街線・急行)の最寄り駅が羅列され、「N」系統はCanal駅、「R」系統は34th St.駅で乗り換えるよう案内されていた。

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ニューヨークの地下鉄は、運行経路変更や一部区間運休、工事などによる駅の閉鎖が少なくないと聞く。

数週間前にはハリケーンがニューヨーク市を襲い、地下鉄が水没するなどの被害が出たこともあって、その復旧工事なのかもしれない。
しかし、11年前の悲劇の直後にも、この辺りの地下鉄は多大な損害を被って閉鎖されたはずである。

僕も妻も、混雑した歩道の真ん中にぽっかりと口をあけた空虚な空間に、まるで9.11テロの時点に迷い込んでしまったような心持ちになって、しばらくたたずんでいた。

豊かさを存分に享受しながらも、世界に君臨する超大国に生きる難しさと哀しみが、ひしひしと心に伝わってくるようだった。

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