2022.2.22 いやさかわっしょい七生祭りができるまで | 風のように生きる〜誰かを変える風ではなく、誰かのための風でありたい〜

風のように生きる〜誰かを変える風ではなく、誰かのための風でありたい〜

本当の自分を生きるを伝える、風プロダクション公式ブログです。
時に曽爾村人力車夫、時にかたりべ、時に全国聖地案内人いやさか祥平のこと、イベント告知など綴ります。
このブログを通してご縁いただけること、心より感謝します。

この祭りのビジョンは、3年半以上前に受け取りました。




写真屋かしわもち 柏木宏友




それまでの僕は歌手でないことはもちろん、人前で歌うようなこともない、ただの神話のかたりべで、神社を案内することをなりわいにしていました。



ただ、神社の案内を通して、ひとりひとりの中に尊い神とも言えるウチナルヒカリがあることをお伝えし、すべての人が自分らしく生きられる社会をつくるということを志にしていました。







そんなある日、いやさかの唄の詩を授かりました。




僕は20085月から201011月まで2年半かけて人力車で日本一周の旅をしていたのですが、その旅から数年が経ち、あらためて振り返っていると言葉が湧いてきたのです。それを書きとめ、氣にいったので、毎日読み上げていると、友人に連れられて、あるお客さんが、僕が当時住んでいた伊勢の家にやってきたのです。




その人はソングレターアーティストを名乗る安達充さんという作曲家でした。

美味しいお酒を飲みながら出会いを楽しんでいると、この詩をみてもらいたくなりました。

すると、メロディが浮かんでくる、、と言って、ものの数分で曲が出来上がりました。



そして、それを彼が持っていた真琴という楽器で演奏し、動画におさめてあらためて聴くと、これは絶対に太鼓がいい!と感じました。




詳しくは…
曽爾いやさか局にて
作曲してくださった安達充さんとの出逢いも収録しました!^^

https://honmaru-radio.com/iyasaka3690046/



ちょうど、その1ヶ月前に淡路島のナフシャというカフェのオーナーの尾崎さんという人から太鼓をみせてもらっていたところでした。




そのときはその太鼓に感激しながらも予約がいっぱいだと言われ、あきらめて帰ってきたのでした。

ところが、曲ができた今,想いが溢れてとめられず、すぐさま動画を送り、太鼓が必要だと伝えました。




そして、一週間もしないうちに、太鼓ができたと連絡をくれました。

シャーマニックドラムが手元に届きました。それは本当に奇跡でした。







それが2016年の9月〜10月。

1212日が尾崎さんの誕生日だということで、ナフシャへ行きました。

お祝いをしに茅葺の人力車を軽トラに積んで。乗ってもらい、いやさかの唄も聴いてもらいました。

とても喜んでくれました。

そして、その17日後の12月29日、尾崎さんは天国へ帰りました。

享年60歳でした。





シャーマニックドラムを叩きながらいつも尾崎さんを思っていました。

ところが不思議なことが起こってきました。太鼓の音を聞くだけで涙する人が続出するのです。しかも、いやさかの唄と響き合わせるとなおさらです。そして、なにかがとれたように、解放されて本来の自分へと還ってゆく感じがするのです。





そして、それだけでなく、複数で歌うとみんなが自然と輪になって踊り出すんです。

おもしろいおもしろーい!

流れに任せて必要なところで必要なことをしてきました。

みんなで踊るとき、ほんとうにみんな笑顔で楽しそうで。



   

これが1万人とかでやれたら地球変わるよな




って思ったんです。

そして、1万人いやさかを思い立ち、友人と話していて、ノリで


2022年2月22日2時22分にしよう!ってなりました。笑




あとで考えたらなんでそんな寒いときに、とか人集まるんかな?とか思いましたが完全に酔っ払いのノリでした。

でも、不思議と取り下げる氣にはなれませんでした。 





そして、やると決めてやり続けていたら、あとからあとからわかってきたんです。




この日は

聖徳太子が亡くなってから1400年のまさにその日にあたること。

聖徳太子の願いが僕の志と繋がっていること。

  




極め付けは、この祭りの

本当の目的地が2222年であることを生まれてきた息子に教えられたことです。






2月10日に生まれた息子は、2×10というイメージをみせてくれました。

それをみて、ハッとしました。




2222年2月22日2時22分こそが目指すべき日時であり、僕の志であった



すべての人が自分らしく生きられる社会をつくる



という夢が叶う日がその日であったと!


 






奇しくも、その前に祭りの名前を七生祭(しちしょうさい)と決めていました。

理由は、1万人いやさかをイメージしたときに想像したシーンとそっくりな絵を見つけて、そのタイトルが七生舞だったからです。






その絵は、江戸時代の国学者の平田篤胤が霊的な世界を研究するために、仙人の世界を見てきた少年、寅吉の話を書き取って絵師に描かせたもの。




その寅吉が生まれた日が12月29日。

亡くなった日が12月12日。

尾崎さんが生まれた日が12月12日。

亡くなった日が12月29日。




偶然とは思えません。 



七生祭(しちしょうさい)という名前もそこからとっただけでしたが、


あとになって、『七生』が


『何度生まれ変わっても』


という意味だとわかり、

200年後を意識して今を生きる祭りにぴったりだとわかりました。


不思議なことですが、すべてが必然に導かれていたのだと思います。

きっと、コロナも必然。

こうでもなければオンラインで全国が自由に繋がることもなかったから。




2022年2月22日午後2時22分は

日本の心の岩戸開きをいたします!!