「箱庭に収めるな」 | 神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。

 先日、善寿寺の龍神護摩に参加するため名神高速を走っている時、家内は「大燈国師」という言葉が何度も頭に浮かんだらしい。その人が誰か彼女は知らなかったのだが、いわずと知れた京都大徳寺の開山だ。私は心の中で時間があれば、姫路の書写山にある円教寺を訪れようと思っていたが、それを口にしていなかったし、高速を降りるまで決断もしていなかった。

 11歳で出家した大燈国師は書写山で天台教学を学んでから、禅の世界に入った。私は大徳寺で学んでから天台宗に入っているので、逆行運転だ。しかし、私が円教寺に行ってみようかと思ったのは、「巨樹遍路」の一環として、そこの大杉を見てみたかったからだ。そして、その巨樹の前に立った時、「いと貴き者は、箱庭に収めず、外に出せ」と言われた。これは、共同社会にとって重要な働きをする者を組織に留めてはいけないという普遍の真理だ。修行後、東山の小庵に20年も潜伏していた大燈も、ついに花園天皇に見い出され、大徳寺を開くことになった。ちなみに白隠禅師は乞食姿の大燈を描いているが、まだ誰も乞食宗鳳を描こうとはしないのは残念だ。(笑) それにしても、なぜ名神高速の運転中に「大燈国師」と聞こえて来たのだろう。大燈に呼ばれたのだ。それが「無意識の繋がり」というものだ。

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オンライン『ありがとう禅』:1月23(日)、28日(金)

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「1月分お申込み」https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSceEu64GCdzpFv4KH0-96ocZLu3gWJ39P8gTdwAfla9z_0Xuw/viewform?usp=sf_link

年間お申込み

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月例護摩:1月30日(日)13時