「誰もが羨む最高のお葬式」 | 神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。






今日は早朝から「首里大王」の遺骨を抱えて、彼が勤めていた石垣最大の海運会社の丸尾進会長から指定された港の一角に出かけました。折しも石垣マラソンの日でもあり、道路があちこちで閉鎖されていたので、誰も来ていなかったらどうしょうかと思っていました。

 

ところが現地に着いてみると、なんと会長や船長はじめ、元同僚たちや「首里大王」が毎日通っていた市立図書館の職員など10人あまりの人たちが、彼が操作していた大型クレーン船の前に集ってくれていました。

 

読経の後、まったく面識のない人たちの前で、私がにわか弔辞を述べると、次々と皆さんがお別れの言葉をしみじみと語ってくれました。しばらくすると、大きなタグボートが対岸から到着し、それに乗り移って、石垣港沖合で花びらや泡盛が撒かれるなか、全員の手で散骨しました。生前から彼は海洋散骨を望んでいましたが、まさか自分が大好きな職場のタグボートで、それが実現するとは夢にも思っていなかったはずです。

 

人間の人生の総決算は、往々にして葬儀の日に現れますが、今日は素晴らしい快晴に加えて、摂氏24度という最高の日和でした。青々とした沖縄の海の中に、誰よりも潜水を得意としていた「首里大王」の遺骨は美しく舞いながら、楽し気に沈んで行きました。

 

入念に計画された映画のロケでも実現しないような劇的な展開でしたが、すべては私が丸尾会長に入れた、たった一本の電話だけで実現したのです。「首里大王」自身の徳がこの幸運をもたらしたとしか思えませんが、船仲間たちも「彼が羨ましい。俺もあんな葬式をしてほしい」と言っていました。

 

夕刻、宿近くの岬に出かけてみると、夕日が美しく沈んで行きました。今日は、法然上人(と私の母)のご命日でもありますが、「首里大王」も間違いなく西方浄土に往生したと思います。ほんとうに良い日でした。ありがとうございます。

 

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