「甲子園球場には魔物がいる」
野球ファンならば一度は耳にしたことのある言葉ではないでしょうか。
聴きながら読んでね💖
「甲子園」♪福山雅治さん
今日は
高校野球のお話。
片方のチームには「魔物」であるということは相手チームには「神」となるかというとそういう訳ではなく、「あれがもし自分のチームに起きたら」と思ってぞっとするような出来事が甲子園には起きる。
忘れられない「箕島VS星稜」の「史上最高の試合」と呼ばれた1979年8月16日の試合。あの試合は後に山際淳司氏によって「8月のカクテル光線」というノンフィクションの短編に描かれた。暑さで頭がぼうっとするような夏が過ぎ、少し涼しい風が吹いた瞬間に襲ってくる猛烈な寂しさ…あれは10代にしか味わえない感覚だろうと思う…「8月のカクテル光線」はそんな儚い一瞬を綴った小説である。
18回の裏に箕島のサヨナラ勝ちで幕を下ろした試合は本当に、あまりにも有名すぎるのだが私はずっと星稜の「一番ファースト・加藤君」が気になっていた。
気になっていた、というよりも心配だった。
いろんなことがあったと思う。
加藤君が16回の裏にファウルゾーンに上がったフライを捕れば状況は変わっていただろう、と思う人は多かったかもしれない。彼は高校球児として一番忘れたくない甲子園にいちばん忘れようのない思い出を作ってしまったのだ。
あの後
しかし加藤君はずっと野球を愛し、少年野球の監督を続けていた。
野球を辞めないでいてくれたことが何より嬉しかったことを覚えている。
あの試合から15年後の簑島星稜のOB会では、箕島の監督を務めた尾藤公(ただし)・元監督が「お前に会うのが楽しみやった」「加藤、元気でよかった」「少年野球の監督を続けていると聞いて嬉しかった」と加藤君を歓迎した。
OB戦では尾藤元監督が打ったファーストフライを加藤君が捕球。「加藤君で終わってくれてよかった」と笑顔を見せていた尾藤元監督。
教え子ですらないひとりの高校球児が背負った大きすぎる傷を、尾藤公という監督はずっとずっと案じていたのであろう。
…実は、この時
尾藤元監督はがんで闘病中だった。そして加藤君との再開後、まもなく旅立って行った。
夏の高校野球はただの風物詩ではない。
あれは野球を愛するすべての人の輝ける人生なのだ。
そして
本物の「甲子園の魔物」は魑魅魍魎の類ではない。
…あれは
甲子園に行ったことがある人には分かるであろう。
人々の大声援が魔物なのだ。
真摯なゲームに対しての本気の応援は、選手の心を大きく揺さぶる。
スタンドからグラウンドに向けて、観客全員が大声を落としてゆくと反響する、その声には祈りがこもっている。
祈りには状況を変貌させる力も、きっとあるのだ。
阪神甲子園球場・100周年
聖地にはこれからも、奇跡が起こるのだろう。
石川県の、「エエもん」💖