平成22年の南アルプスを振り返って
平成22年に撮影した南アルプスの山並みです。
【写真】 聖平から残雪の聖岳 (6月6日 聖平分岐点から撮影)
【写真】 赤石岳 (7月10日 荒川のお花畑から撮影)
【写真】 中岳 (7月11日 悪沢岳と中岳のコルから撮影)
【写真】 聖岳 残雪も消え緑が濃くなっています (7月18日 聖平分岐点から撮影)
【写真】 間ノ岳、農鳥岳、仙丈ヶ岳遠望 (7月25日 塩見岳から撮影)
【写真】 上河内岳、聖岳、兎岳遠望 (8月29日 茶臼岳から撮影)
【写真】 塩見岳 (9月11日 烏帽子岳から撮影)
【写真】 塩見岳 (9月12日 塩見小屋から撮影)
【写真】 中岳 (10月2日 悪沢岳から撮影)
今年、私のブログに立ち寄っていただいた皆様、ありがとうございました。
なんとなくはじめたブログでしたが、楽しく更新することができました。
来年もまたよろしくお願いいたします。
北アルプス 丸山東壁~剱岳(3)
いよいよ最終回です。
源治郎尾根から剱岳を超えて馬場島までの間ですが、
中谷ルートの途中から降雪が毎日続きました。
そのため、ほとんど写真がありませんが、少しでも剱の積雪期を
感じていただければと思います。
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1992年1月1日 剱岳源治郎尾根平蔵谷側下部中谷ルート
いよいよ新年を迎え源治郎尾根中谷ルートの核心部に突入。
今日中に初見のルートを抜けることができるか、勝負の日である。
昨日ルート工作しておいたピッチをユマーリングで登る。
今日もリードはすべてI氏。卓越した技術を持ちながらも、
登ったり降りたり、着雪を取り除いたりしながら進んでいる。
フォローの自分にとっても、微妙なスタンスに立ちながらのハーケンの
回収は厄介で、丸山東壁の比ではクライミングを堪能。
時間が経つのが早く、岩壁を超え、雪壁にとりつく頃には
ヘッドランプを着用。さらに追い打ちをかけるように強風で
声も笛も届かなくなる。ビレイ点についたのか、まだ登っているのかの
判断は自分の勘になる。意を決してビレイを解除し、自分も登る。
20時50分にクライミング終了。
テントを設営したが、翌朝起きてみると、よくこんな急斜面にテントを
設営したなぁと思える場所であった。疲れ、暗さ、平衡感覚の麻痺の
せいだろう。
【写真】 昨日ルート工作したピッチをユマーリングで登る
【写真】 中谷ルート3ピッチ目のユマーリング
斜上しているうえにスタンスも細かくハーケンやシュリンゲの
回収に苦労したピッチ。
【写真】 中谷ルート4ピッチ目のフォロー
天候がさらに悪化したなかでのクライミング
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1992年1月2日 源治郎尾根Ⅰ峰まで
上部壁名古屋ルートにとりつくことを考えていたが、雪崩るかもしれない
恐怖の中、初見のルートにとりつく勇気が出ずに、源治郎尾根を登るこ
とにする。
【写真】 源治郎尾根支稜を登る
【写真】 源治郎尾根Ⅰ峰上部壁を前に正直ビビる自分
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1992年1月3日 源治郎尾根~剱岳~早月尾根2600m
右稜を登ってきた東京の7人パーティと合流し、合同のラッセル。
21日に入山して以来、初めて人と出会った。それだけで嬉しい。
剱岳の山頂では、誕生日の自分を中心に記念撮影。
楽しさは一瞬で、怖い早月尾根の下降が待っている。
ザイルをつないだままの下降が続き、安全地帯でテント設営。
【写真】 剱岳山頂にて
ホワイトアウトに近い状態では本当に剱岳かわかりません。
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1992年1月4日 2600m~馬場島~伊折
8時10分出発。早月小屋8時45分、馬場島に11時40分に着く。
今日も降雪は続いていたが、トレースのおかげで早めに馬場島に着く。
馬場島から伊折までも歩くのがつらいが、これが剱の最後の試練。
2時間程度でついたが、積雪が多い時は1日を要すると聞いたことがある。
ラッキーな下山日だったのだろう。
【写真】 馬場島にて
北アルプス 丸山東壁~剱岳(2)
一度も晴れ間がないまま終わる冬山もあるのですが、
今回は一日晴れ間があり剱岳の山頂を見ることができました。
No2は、剱岳の写真をお届けします。
なお、ルートの解説等は過去の岳人等に掲載されていますので省略し、
今まであまり紹介されていない写真をできるかぎりお届します。
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1991年12月27日~30日 停滞
別山乗越に26日につくものの荒天により停滞。
テントから顔を出すだけで、息ができなくなるようなダストのような
細雪がまっていたり、とにかく忍耐。
正直、雄山東尾根経由で黒部ダムに帰りたいとさえ思ったほど
長く感じる停滞。寝ているだけが苦痛な停滞は、先にも後にも
この時だけ。※軽量化のため、文庫本や嗜好品を持っていかな
かったためです。
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1991年12月31日 別山乗越~剱沢~源治郎尾根末端
4日間の好天の後、初めての晴れ。
別山乗越から剱岳山頂や室堂が見える。
天候は結局すぐに荒天に戻り、夕方ころからまた雪に戻る。
テントから這い出してみると、身体中が痛くて、少し小さくなったような
感じさえする。狭いスペースで寝たきりは身体に良くない。
剱沢の下りは、雪崩に注意しながら、そして初見となる中谷ルートを
観察しながら進む。降雪量は思ったほどではなかったようで、ラッセ
ルは楽な方でした。2時間程度で平蔵谷出会着。
10時10分からルート工作。二人とも積雪期の源治郎尾根は経験が
あるものも、無雪期を含めて源治郎尾根側壁は初めて。
いまいちルートがはっきりしないものの、とにかく取りつく。
I氏が苦労している姿をはじめてみた。
丸山東壁とは違い着雪量が多いため、ルートを掘り、スタンスや
ホールド、ハーケンやボルトを探しながらの少しづつ登っていく。
4ピッチのルート工作を終え、平蔵谷出会に設営したテントに
もぐりこみ、無事1991年を終えた。
【写真】 別山乗越から室堂、薬師岳方面を遠望
【写真】 別山乗越から剱岳遠望
【写真】 剱沢からの剱岳
【写真】 源治郎尾根平蔵谷側下部フェース全景
北アルプス 丸山東壁~剱岳(1)
以前,、紹介しました冬の剱岳の思い出です。
山行期間 1991年12月21日~1992年1月4日
地 域 北アルプス剣岳
ル ー ト 黒部ダム~丸山東壁登研第一ルート~丸山中央山稜~真砂岳
~別山乗越~剱沢~源治郎尾根Ⅰ峰平蔵谷側下部中谷ルート
~源治郎尾根~剱岳~早月尾根~馬場島
メンバー I氏と私
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1991年12月21日 大町~黒部ダム~丸山東壁
冬山をはじめて3年目の自分が、はたして壮大な計画をこなすだけの力量が
あるのか、ないのかわからかなったのですが、当時、冬に丸山と剱の岩壁を
継続したクライマーがいなかったことから、なんとなく魅力を感じて、参加する
ことにしました。
壮大な計画の前に、冬の登攀は初めてのことで、はたしてアイゼンを履いて
の登攀が自分にできるのか不安の中、とにかく京都からいつものように夜行
急行に乗り、一路信州へ。
大町駅から扇沢への道路のゲートのところまでタクシー。
ここからは凍結している道路を黒部ダムまで徒歩。
さらに、苦手な扇沢から黒部ダムまで長いトンネルも徒歩。
黒部ダムからは黒部川沿いに丸山東壁まで落とし穴に気をつけながら慎重に歩く。
雪が少なく順調に進んだため、初日はルート工作。
【写真】 丸山東壁とりつき点
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1991年12月22日 丸山東壁中央壁登研第一ルート下部
5時25分に登攀開始し、中央バンドには13時30分着。
登攀スタイルは、I氏がリードし、ハング以外は自分が荷を背負いユマーリング、
ハングは自分も空荷でフォローし、二人で荷あげ。
【写真】 中央バンドにテント設営 後ろに見えるのは黒部ダム用の作業道です
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1991年12月23日 丸山東壁中央壁登研第一ルート上部
今日も朝早くから壁にとりつく。ハングが続く。
荷あげのザックは壁から5mは離れているんじゃないだろうか?
荷あげは秋に奥鐘山西壁でさんざんやってきたので、特に問題もなく
順調にすすむ。
壁の上部は雪がほとんどついていない状態で、フラットソールで登りたいほど。
登攀が終了した後、ある程度雪があるところまで移動。
【写真】 ユマーリング
【写真】 ザックの荷あげ
壁から離れている距離からハングの大きさがわかります。
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1991年12月24日~26日 丸山中央山稜~真砂岳~別山乗越
最初の登攀が終了し、いよいよ剱にむけて移動。
丸山中央山稜は、山岳部に入部していきなりゴールデンウイークに
連れていかれた思い出の雪稜。ただただ、頑張って登るしかなく、
休憩出来るようなところもない。
スタイルは、アイゼン+ワカン+ストック(またはピッケル)。
降雪が続くものの26日に一時的に天気回復。
ようやく後立山連峰が見え、北アルプスの真ん中にいることを実感。
別山乗越の石積のトイレの中にテントを設営。
トイレの天井に11月に忍ばせた食料入りの半斗缶を回収し、
チョコをかじりクリスマス。
【写真】 丸山中央山稜
【写真】 丸山中央山稜
【写真】 丸山中央山稜から後立山を遠望
【写真】 別山乗越の石積トイレ この中にテントを設営しました。