昔の人は定年後どんな暮らしを営んでいたのだろう。調べてみると寿命に関して認識が少々甘かったことを思い知った。

 私たち日本人の平均寿命は明治大正期の間男女とも43歳だった。極端ないい方をすれば今でいう働き盛りのころを亡くなっていたと言える。平均寿命はその後少しずつ上がり大戦に入った36年に男性で45歳、女性で50歳だった、敗戦後の47年に男性が50歳、女性が54歳となり、その後劇的に向上し第一回大阪万博の開かれた1970年に男性69歳、女性で75歳、2000年に男性78歳、女性85歳、2020年には男性82歳、女性85歳となっている(数字は小数点以下を四捨五入している)。

 

 定年退職後に人生の進路を再考しなければならない事態が訪れるようなことは戦前から戦後まもなくの人々の考えの埒外だった。日々生きるのに必死で長生きできれば御の字だったという世相だった。還暦、古希と年齢を重ねるごとに祝う風習はすなわち長生きすることこそ幸運だった時代の名残であるといえるかもしれない。生きること自体が、長命を生きることが難しかった時代に、定年後をいかに暮らすかについて社会を挙げて準備を促すということは問題外のことであっただろう。

 上に挙げた平均寿命からすると昔は定年になる前に亡くなる人が多かった。反対に現代の定年制は早く辞めてもらうために設けた制度だが、昨今の70歳定年制議論からすると少子化により労働力の確保ものっぴきならない状況だし年金の財源についても極めて危険な水準に落ち込んでいる。この先一定の年齢まで伸びていくのではないだろうか。


 定年制の変遷は次の「定年制と平均寿命」とする立命館大学の調べに詳しく紹介されている。参考にしていただきたい。
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定年制は、明治時代(1868年~1912年)の後期に一部の大企業 で始まり、その後、広がっていきました。記録に残っている最古の定年制は、1887年に定められた東京砲兵工廠の職工規定で、55才定年制でした。民間企 業では、1902年に定められた日本郵船の社員休職規則で、こちらも55才定年制でした。

 この時期の男性の平均寿命は43才前後で した。新生児の死亡率が15%であったとして、それを統計から除外しても、平均寿命は50才という計算になりますから、55才は平均寿命よりかなり長いも のでした。定年制が実際に適用されたのは、大企業の一部職員だけでしたが、それでもそれらの人に対しては文字通り「終身」雇用であったと言えるのかもしれ ません。
  荻原勝『定年制の歴史』(日本労働協会、1984年)によれば、当初の定年制は労働者の足止め策と表裏でした。つまり、定期職工が当時の基本的な雇用形態 であり、海軍の場合、45才が採用の上限で、年季が10年であったので、55才定年ということになるのです。そのため、戦後の1947年 に立法された労働基準法では、使用者による過度の足止め策を禁止する規定が並んでいるのです。有期労働契約の上限を1年(当時・14条)とし、賠償予定 (16条)・前借金相殺(17条)・強制貯金(18条)といった手段による足止め策を禁止しています。
 それに対して現在では、平均寿命の急伸を 背景に、定年制は強制退職の側面が強くなっています。そこで、高年齢者雇用安定法は、1985年に60才定年を努力義務とし、1994年には法改正して 60才定年を義務化する規定を設けで1998年に施行され60才定年となりました。その後、2006年には法改正して65才までの継続雇用を義務化する規 定を設けて、2013年より施行されています。しかし、新生児の死亡を除外したとしても平均寿命は、明治時代の50才から現在の80才まで30才も伸びて いるのに対し、定年年齢は、55才から65才と10才しか伸びていないのです。